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著名人・有識者が語る 〜インタビュー、講演、寄稿〜

食卓から未来を育てる

食育研究家 服部 幸應

料理学校を営む家に生まれ、厳しく育てられた少年時代

取材先で訪れたのは、服部幸應さんが営む料理学校の校長室。階下では、学生たちが実習のなかで楽しそうに交わす声が聞こえていた。インタビューに応じてくださった服部さんの服装は、もうおなじみとなったスタンドカラースーツ。気品を感じさせる印象はテレビで観る姿と変わらなかった。

料理学校を経営する家に生まれた服部さんは、2歳の頃から包丁を握らされ、4歳の時にはりんごの皮むきができるようになっていたという。

箸の使い方や他人と接するときの振る舞い方などのマナーも幼いころからしつけられた。隣の家に些細(ささい)な用事で行くときですら、身なりをきっちりするよう母から言われた。世間から厳しい目を向けられる学校経営者の家庭ならではの大変さが、幼いころから服部さんの身にしみていく。


服部さんに対する本格的な料理教育が始まったのは、小学校4年のときだった。 「ある日、父親から『明日の昼に天丼を作ってみなさい』と命じられたのです。子どもながら、それは父親からテストされることだとすぐ分かりました。もちろん、ご飯の炊き方、天ぷらの揚げ方、天つゆの作り方などは部分的に教わっていたから、できないわけではありません。それでも一からすべて自分で行うのは初めてです。緊張しながらも一生懸命に作ったことを覚えています」

そして、服部さんはできあがった天丼を食卓で待つ父親に出す。評価は厳しかった。父親はひと口食べて「不味(まず) い」と言い、それ以上、箸をつけることはしなかった。

その後もテストが幾たびも行われたが、なかなか父親を満足させるものはできなかった。

そんな服部さんを応援してくれたのは祖母だった。祖母は、機会があるごとに名店と言われる店に服部さんを連れ出してくれ、その中で服部さんは一流の味を自らの舌で覚えていく。祖母の応援に応えるように腕も上がり、父親から「美味(おい)しい」と言われる回数が増えていった。