金融教育フェスタ
2005 金融教育フェスティバル
実施報告
シンポジウム「これからの子どもたちに期待すること」
全文
暮らしを取り巻く金融環境
-資料VTR(1)-
■90年代後半以降の金融規制緩和に伴うサービスや金融商品の多様化、それに伴う金融トラブルの実情、最近の日本の金融教育の取り組み
■イギリスにおける金融トラブルの実情、学校での金融教育の取り組み
好本 私たちの暮らしを取り巻く金融経済環境は大きく変わってきています。大人でも金融トラブルに巻き込まれやすい現代にあって、子どもたちに、お金の価値をどう教え、健全な社会人として暮らして行くための判断力をどのように身に付けさせればよいのか、金融教育を具体的にどのように始めたらよいのか。お金に対する感覚自体も昔と今とでは随分違います。また、子どもたちを取り巻く、お金の環境も本当に変わってきています。
まずはその実態をVTRでご覧頂きながら、その後、ディスカッションを展開して行きたいと思います。
-資料VTR(2)-
■若者を取り巻くモノ・カネの環境と落とし穴の数々 ― 激変する青少年の消費社会 ―
・小中学生でも携帯電話を持つ、ファッションやファンシー・グッズ等のモノが溢れている時代
・「豊かな日本」の中で、若者達の社会参画力が低下(フリーターやニートの増加)
好本 子どもたちや若者たちのお金にまつわる実態についてVTR映像をご覧頂きました。香山さんは若者の実態についてとてもお詳しいと思いますが、どのような感じでしょうか?
香山 VTRに出てくる人たちも、一見すると、あまり考えずにお金を使っている贅沢で甘えた子どもや若者に見えますが、恐らくうすうすは2万円や3万円も携帯電話を使ったり、いつまでもフリーターでいるのは、「ちょっとまずいのではないか?」という気持ちがあるように思います。でも、考えたくないから遠ざけているのではないでしょうか。
また、親も「家庭の収入や子どもにかけられるお金はどのくらいなのか?」といった実情を、子どもに話さなければいけないと思いながら、衝突や向き合うのをお互いに避けてうやむやにしているのではないかと思うのです。
そうした意味において、「お金の話は生々し過ぎて、話すことでお互い傷付け合うのではないか?」と思っている家庭も多いかと思いますが、むしろお金について話したほうが、子どもが自己の大切さや意味を自覚できるということがあるのではないかと思います。
村上 私は親の立場で考えてしまうのですが、さきほどの子どもたちの携帯電話料金は、親が管理しなくてはいけないことだと思うんですね。なぜ、「そんなに使うことが許されているのか?」ということが、私には分かりません。よしとされているのか、親がよく分からないのか、それとも関心がないのか。
関心がある親であれば、約束事を決めると思うんですね。例えば、家庭の中には、「洗濯物を脱いだら洗濯機のところに置いてね」とか、「ご飯を食べたら食器をシンクの中に片付けてね」といった、家の中のルールがあると思うんですよね。それと同じように、お金のルールも、それぞれのご家庭の中にあるのではないかと思うのです。
例えば、「お小遣いは幾らか」、「その使い方はどうなっているのか」など。お金のルールが決まっていれば、さきほどの携帯電話を2万円、3万円も使うということは、そんなに裕福なご家庭ばかりではないと思うのですね。大事なのは、「親と子どものコミュニケーションが取れていないのではないか?」ということが一番不安になりました。
それから、フリーターの方がいらっしゃいましたが、それぞれ色々な生き方があるわけですから否定しませんが、やっぱりよくよく今考えてみたら、幼い頃に親が子どもに対して、どのようなことを教えてあげられるか、例えば「将来はどんな仕事に就いたら良いのか?」、「どういうふうに夢を追いかけて行ったら良いのか?」という話し合いを、家庭環境の中でできるかどうかによって、大人になってからの物事に対する価値観が随分違ってくると思います。
福井 村上さんのお話を聞いて、「村上さんはご家庭の中でしっかりした教育方針を持っておられる」と思いました。「人生の本質は夢の追求にある」と私は思います。夢も希望も失いかけたら人生のピンチであり、すぐに香山先生のところへ相談に行かなければいけないでしょう。
やっぱり夢は大事だと思いますし、皆様が日々、夢を追って活動しておられる、ほとんど全ての場面でお金は人々の活動を仲介しているというふうに思います。従って、お金を上手に使って頂ければ、夢の実現をお金がお手伝いするというふうに思います。
しかし、お金は同時に大変な『魔物』です。「お金さえ持てば何かが実現する」と思ったとたん、失敗の始まりになるし、お金が空回りして、使った人を惑わせたり、時に狂わせたりします。従いまして、お金との付き合いは、それぞれの方々の生き方や価値観をそのまま反映していると思いますので、「しっかり生きて、しっかりお金をいきいき使って頂ければ」と思っております。
畑村 さきほどのVTRも含め、どうしても『お金を使うほうの話』に行ってしまいます。しかし、本当に必要なのは、『お金を稼ぐほうの話』がないといけない。お金を稼ぐためには、努力することや労働することが必要なわけですが、それ自身が「大変なことだ」ということが、子どもに見えなくなっているということが、今の特徴のような気がします。
特に、親がサラリーマンで、給与等が自動振込みだと、奥さんも「お金は銀行の口座に自動的に入っているものだ」というふうな感覚になる。そうした環境においては、『自分が使う手段としてのお金』しか見えない。
「お父さんやお母さんが努力をしながら働いているのだ」ということを考える場がないので、出る(使う)ほうのことは関心があるけれども、入る(稼ぐ)ほうの大変さは見る場がないように思うのです。
『子どもがおかしい』と言うよりは、お金の持っている二つの側面、つまり『稼ぐ』と『使う』ということのうち、『稼ぐ』面を見なくなっていることを意識しなければいけないと思うのです。
好本 私もVTRを見て思いましたが、子どもたちは『モノ』というよりも、「何か気持ちの良いことや快適で居られること(例えば通信費・ファッション・化粧品等)にお金をとても使いたがる」と思うのですが、三枝さんはどのようにお感じになりますか。
三枝 そうした傾向はあるような気がしますね。私も今のVTRを見て思いましたが、最近は『話を聞けない子ども』が急速に増えました。話を聞いているように見えても、実際は相手の話を『理解しようとして聞いていない子ども』も増えました。
また、他人任せで「何とかなるだろう」と思っている生徒も非常に増えたような気がします。この2つのことがVTRの中の現象と相俟って、中学生も完全に市場社会に組み込まれてしまっているため、不安を感じます。
それでは、「何が必要なのか?」と考えた時に、「自分で判断して意思決定をする機会が今の子どもたちには少ないのではないか?」と思います。教育現場としては、「学校授業の中でこうした点を鍛えて行かなければならない」と感じています。