金融教育フェスタ
2005 金融教育フェスティバル
実施報告
シンポジウム「これからの子どもたちに期待すること」
全文
金融教育とは?
好本 さて、それでは一体、「金融教育とは何なのか?」、「それは必要なのか?」ということに話を進めて参ります。
大杉 三枝先生がおっしゃったように、『自分で判断して問題を解決する』という場面を、日々の授業にぜひ取り入れて頂ければと願っています。
そうした意味において、金融教育とは、働いてお金を得る、そのお金は何に使うのか、または貯めるのか、そうしたことを通じて『お金の大切さを学ぶ』とともに、客観的視点に立って、「使ったお金はどこへ流れて行くのか?」ということを考えて行く必要があると思っています。
福井 金融教育の必要性のポイントは、「お金はそう簡単に手に入らないものだ!」ということがしっかり分かるようになることですね。豊かな社会になるほど、お金は簡単に手に入るような感覚に流れて行く訳です。しかし、お金は、いつの世の中でも簡単には手に入らないものです。
多分、若い人たちが、今後の自分の将来の夢を見る時のスタートラインが既に非常に高いところから始まっているから、インセンティブがそれだけ欠けるのだろうと思います。従って、「お金はそう簡単に手に入らないものだ!」ということを、自分自身でしっかり自覚しない限り、インセンティブはなかなか持てない。
例えば、目の前で何か実現したい時、例えば「友だちとメールで交信したい」とか、「携帯電話でゲームを楽しみたい」などといった、その程度のお金は、お父さんやお母さんの財布の中に簡単にあることも知っている。お金は、「ねだれば幾らでももらえる」ということも分かっている。つまり、お金は比較的手に入りやすいという感覚から始まっていると思います。
しかしこれは違います。まず、皆の苦労があって、何か新しい『モノ』を生み出して、初めてその『モノ』に見合ったお金が『本当のお金』として存在する。そうしたお金は、苦労して得たお金ですから、使う時は『意味のあるお金の使い方』をする。
消費者が『意味のあるお金の使い方』をすれば、「次にどういった商品を提供すれば良いか?」という方向で、夢を追っている人たちが目ざとくそれを捕らえて、次の『モノ』をつくる努力をする。こうした「夢を追って行く仕組みの好循環が世の中全体の仕組みとしてできる」ということになります。
お金は何かをつくり出す人々が多くなければ、お金は死んでしまう。単に、印刷したお金は、何の意味も持たないのです。
村上 私たちの幼い頃は、もちろん金融教育はなかったですよね。そして、『食育』がなかったのと同じように、『金融教育』と聞くと、何かすごく難しそうなイメージで、「堅苦しいから聞きたくない」とか、「参加したくない」と思われる方が、結構いらっしゃるかもしれませんが、すごく大事なことだと思うんですね。そして、私自身が学べなかったことを、子どもたちにぜひ学んで欲しいですし、やっぱり「生きる術を学んでもらいたい」と思います。
でも、まず子どもたちが学ぶ前に、私たち自身が金融教育のことをよく理解していなかったら、子どもたちとそうした話ができないわけですよね。それが一番大事なポイントだと思うんですね。だから、子どもたちに向けた教育ももちろんですが、「親が学べる場所もぜひ与えて欲しい」と思います。そして、できることならば、子どもと一緒に参加し、一緒に学べる場をこれからどんどん広げて行ってくれたら、親としては非常に助かるなと思っております。
好本 こういうふうに考えてくると、『金融教育』というのは、「生活の中でどうお金を使って行くか?」という『生活設計』もあるし、「仕事とどういうふうに結び付けて考えるのか?」ということもありました。さらに、「金融経済をどう学ぶのか?」ということもありますし、さらに、「消費者としてどういうふうに賢く生きるのか?」ということもあります。つまり、非常に幅の広いものだと思います。
それでは一体、この金融教育を「誰がするのか?」ということになりますが、学校でしょうか?各家庭でしょうか?地域でしょうか?
村上 私は、「全ては家庭から始まる」と思いますね。悩みますが、子どもを育てて行く親の責任は重大だと思います。「それがあって、学校があって」ということだと思う。だから、「いかに家庭で色々な話ができるか?」ということだと思います。
今の話を聞いていると、価値観、つまり『モノ』とお金が釣り合っていないですよね。だから、子どもが親に欲しい『モノ』をおねだりしたとしても、例えばそれが年齢に相応しくない高価な『モノ』であれば、「今のあなたにはまだ相応しくないけれど、多分幾つ頃にはこれは持てるようになるかしら」とか、その『モノ』にまつわる色々な話を、親と子どもができること。そうした「モノとお金の価値観の話はすごく大事」だと思います。
好本 『フリーター』、『ニート』、『引きこもり』という言葉がよく聞かれますが、労働しなければお金は得られないということは、どこで教育したら良いのでしょうか。
香山 私が担当していた、『引きこもり』の子どもは、インターネットを自在に操るので、親のクレジットカードの番号などを聞いてしまうと、後は全くリアリティーなく、欲しい商品をクリックしてインターネットショッピングする。商品は自分あてに届くが、請求はクレジットカードあてへ届くので、「お金を払って商品を買っているのだ!」という実感が持てないケースもあります。
ナマのお金(現金)から遠ざかるにつれ、お金の実感がなくなってしまい、お金の大切さや価値が非常に希薄になってしまっているようなケースもたくさんあります。今は、現金を使わずに色々な『モノ』が買えるので便利になりましたが、「お金の実態は、家庭で目にすべきではないか?」と思ったりします。
三枝 「学校と家庭の両方」だと思います。学校現場は、「学びの場として当然、金融教育をやって行くべき」だと思いますし、それは「教科が中心になる」と思いますが、「色々な形で授業を工夫して実現できる面はある」と思います。
しかし、それだけでは当然無理で、おそらく、学校現場で行う時には、「外部の専門家の方々と連携した授業作りをして行くことが非常に有効」だと思います。
好本 実際問題として、教育現場ではやるべきことが非常に多くて、「金融教育は必要」と思っていても、実際に取り組んでいる方は「4%程度」と聞いております。
三枝 どこの学校現場も同じだと思いますが、仕事の中身が非常に多種多様になっており、『授業』もあれば、『学級経営』、『事務』、『部活動』、『行事』、『特別活動』など、色々とありますので、学校現場で果たさなければならない事がたくさんあります。
ただ、生徒も教師も、1日のうちで1番長くお互いに時間を過ごしているのは、あくまで『授業』ですから、やはり『授業』の中で実現するために、学校現場でももう一度、「授業でできることを十分に考えるべき」だと思います。