金融教育のすすめ
(4)海外事例を参考に
わが国で金融教育が行われた歴史をさかのぼると、おそらくその先駆けは、最初に「子ども銀行」が社会科学習の一環として開設された大阪南大江小学校になるだろうとされています。1948年1月のことでした。
それから半世紀が経過し、2000年6月の金融審議会の答申の中で、金融に関する消費者教育の必要性が示されました。以来、金融広報中央委員会は、それまでの経緯もあって、金融に関する消費者教育のわが国の拠点となりました。2002年には「金融に関する消費者教育の推進に当たっての指針」(以下では「金融消費者教育の指針」と略します)を策定し、教材開発や教員向け研修会の開催などの事業を行い、わが国の金融消費者教育の中核を担う存在として期待されています。そして2003年には、金融教育研究校制度を設けて、甲府市立商業高校が最初の研究指定校となり、続いて多くの学校が金融教育や投資教育に積極的に取り組んでいます。
金融教育は時代のニーズ
今日の経済構造は市場開放・規制緩和が急速に進み、工業製品、農産物に続いて、情報・通信・金融といったサービス部門も市場化、グローバル化の波は押し寄せ、とくに金融分野においても、1990年代以降、金融自由化が堰を切ったように進展しました。バブル崩壊以来の不良債権処理をめぐって金融機関の経営体力の差は歴然とし、激化する競争の中で金融再編が現在もなお進行中です。
消費者の金融サービス利用の視点から見ますと、投資信託の銀行窓口での販売開始、確定拠出年金の導入、ペイオフ解禁と、とくにこの10年ほどの動きはめまぐるしいものがありました。銀行、保険、証券などの業態の垣根も見えにくくなり、金融商品の広告はあふれ、消費者の選択の幅が広がる一方で、確かな情報を得て、妥当なリスク判断を迫られているといえましょう。
こうした「日本版金融ビッグバン」と呼ばれる金融環境の劇的とも言える変化は、金融商品の販売者側に対して消費者への重要事項の説明義務や、不十分な説明によって消費者が損害を被った場合の消費者の損害賠償請求の権利を認める法制度(金融商品販売法)を生み出すと同時に、消費者の金融に関する基礎知識の普及や学習機会の保障を必要とすることになりました。
金融庁は2002年11月に文部科学省に対して、学校教育での金融教育の推進を求める異例の要請文を出しましたが、こうした背景があったからと言えます。
1996年11月 | 橋本首相「我が国金融システムの改革~2001年 東京市場の再生へ向けて~」と題する声明文発表 |
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1997年 6月 | 金融監督庁設置法成立・施行 |
1998年 4月 | 改正外国為替法の施行 |
1998年 6月 | 金融システム改革法成立(12月施行) |
1998年12月 | 投資信託の銀行等での窓販開始 |
1999年10月 | 株式売買委託手数料自由化 |
2000年 4月 | 金融商品販売法成立 |
2000年 7月 | 金融監督庁を金融庁に改編 |
2001年11月 | 証券関連税制改正(租税特別措置法改正)成立 |
2002年 4月 | ペイオフの一部解禁 |
2003年 4月 | 郵政公社発足 |
2005年 4月 | ペイオフの全面解禁 |
金融教育の目的と方法
金融サービスについての消費者教育の必要を指摘する声は、金融ビッグバン以後とくに強くなってきました。
1986年に金融サービス法を制定するなど、すでに金融ビッグバンを経験した英国では、金融自由化に伴う消費者保護策をとっていました。しかし、個人年金の販売競争で、予期せぬ損害が多くの消費者にもたらされたため、消費者保護策の再考が行われ、消費者保護を目的として、新たに1997年に設立された金融サービス機構(FSA)は、次のように金融教育の意味を述べています。
金融教育の目的は、「消費者が十分な情報にもとづいて、選択することができるようにすること、また自らの金融に関する問題をよりよく取り扱うことができるようにすることにある。また、それは消費者からの圧力が高まり、金融市場での競争を促進し、革新が引き起こされる。そしてそれは通貨の価値と質を高めることも意味する」と。
また、米国のFRB前議長グリーンスパン氏は、「すなわち、金融の分野で、消費者の合理的な意思決定能力を高めることにおいて、金融教育の目的が達せられる。金融教育によりトレーニングされた意志決定能力によって、消費者の種々の金融サービスの合理的な活用は達成される。そして消費者は金融上のトラブルを避けることができる。さらに、消費者の明確な選択による家庭経済のマネージメントは、健全なマーケットの強化に役立つことになる。」と明言しました。
わが国においても、先に示した「金融消費者教育の指針」では、金融教育に関して次のような定義をしています。
「(1)消費者は多様な金融商品・サービスを利用することによるメリットを十分享受することが可能となる。(2)金融をめぐるトラブルの発生防止・消費者保護に役立つ。(3)健全で合理的な家計の運営及びそれを通じた市場機能の強化に資する。」と。
さて、金融教育(「金融に関する消費者教育」と言ってもよいでしょう)は、消費者の、消費者行動、負債行動、貯蓄行動、投資行動をより洗練されたものにすることを目標にしているものです。では、そのために金融教育が、どのようにこれらの課題を取り扱っていけばよいのでしょうか。
下の表は、米国の金融経済教育の推進組織ジャンプスタート(Jump Start)が開発した中学生と高校生が理解するべきパーソナルファイナンスについての枠組みです。収入支出の基本から、年金に至るまでの広範な領域を捉えていることがわかります(上段が四つの主要分野で、下段が各分野の内容です)。
収入 | マネー管理 | 支出とクレジット | 貯蓄と投資 |
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収入源 収入に影響する要素
起業心 税と政府サービス インフレと購買力 社会保障と医療 企業支援の貯蓄プラン |
ニーズとウオンツ 金融上の意思決定 予算 金融上の責任 保険、リスク管理 金融情報源 ファイナンシャルプランニング 法的文書(遺言等) |
比較購入 機会費用 支払手段 消費者情報 消費者苦情の手続 クレジットコストと記録 クレジット問題(破産等) クレジットと消費者保護法 |
貯蓄や投資の理由 貯蓄、投資商品 リスクとリターン、流動性 複利、時間価値 72の法則、ドルコスト平均法 分散投資 投機と情報源 金融市場の規制 企業支援の貯蓄プラン |
金融教育の担い手
金融教育が時代のニーズとして求められるとすれば、誰がこれを担うべきなのでしょうか。これを最初に育てあげたのは、前述の金融広報中央委員会に他ならないでしょう。本部事務局は中央銀行である日本銀行内に設けられ、また全都道府県に金融広報委員会が置かれています。各地では金融広報アドバイザーとして、事務局から任命された方々が、地域における金融教育のリーダー的役割を果たしています。
また、これまで金融関連分野において、教育資料を作るとか、あるいは研修会を開催することに熱心であったのは業界団体でしょう。特に、保険会社とクレジット会社などが1980年代頃から力を注いできました。なかでも、従来から販売員の戸別訪問による販売が中心だった生命保険会社では、保険商品自体に不明確な点が多いなかで、企業間の競争が熾烈であったため、トラブルがしばしば起こりました。そのために、生命保険知識の正しい普及を目的として、生命保険文化センターが業界の基金によって設立されました。そして今日まで、学校教育や消費者一般向けに、生活設計教育や保険教育を積極的に展開してきた経緯があります。
一方、クレジット会社は、クレジットシステムの拡大と消費者信用の健全な利用をめざし、同様に学校向け教材開発などを積極的に進めてきました。早くも多重債務問題は70年代の末に第一次サラ金禍として現われはじめました。また、路上で若者を標的にして、高額商品を売り込む悪質商法も目立つようになり、80年代にはキャッチセールスと呼ばれるようになりました。実際の販売目的を隠蔽して行う悪質商法では、取引金額が高額であったため、多くの場合、クレジット会社や消費者金融会社と結びついて、クレジット契約を介在させる形態をとっていました。こうして、クレジット会社は、クレジットやローンへの批判に対処するために、また、若い世代を未来の顧客として、クレジットやローンに対して正しい理解を普及させる目的でクレジット教育に力を入れてきた面がありました。
1980年代の政府の消費者保護政策は、とくに地方自治体の消費者保護行政部門において、地域の消費者教育の拡充として1970年代に比べて発展してきました。全国各地にある消費者センターは、消費者のためのもっとも利用しやすい相談窓口として、また、消費者情報を地域住民に提供する公共施設として、今日まで社会的意義を果たしてきました。
80年代後半以降、政府は自己責任時代の消費者政策の在り方を模索し、規制中心の消費者政策から教育、情報提供に軸をおく政策への変換を目指すようになりました。
1990年には、消費者教育支援センターが旧経済企画庁と旧文部省が協力して、公的な民間機関として設立されました。同センターは学校での消費者教育の普及推進に積極的に着手し、消費者教育推進の前線基地として、学校教育関係者から支持されるようになりました。
米英の金融教育の考え方
米国では、金融に関する教育は、1960年代以来の学校における消費者教育の経験や、1970年代からの全国規模での経済教育の展開に見られるように、早くから自立を促す実践的な教育としてカリキュラムに組み込まれ、今日まで行われてきました。しかし、日本とは異なって、学習内容は地域や学校の裁量に任され、統一的なカリキュラムとして実行されることはありませんでしたが、一方で、学校での経済教育や金融教育を地域の企業が支援するシステムも以前から存在していました。
クレジットシステムの先進国としての金銭管理教育は、小学校においての小切手についての学習や、高校でのクレジット教育、投資教育など、現在でもいっそう盛んに行われています。近年では、退職企業年金制度である401(k)の施行に伴って、一般従業員に対する投資に関する教育も一般的になってきました。
市場経済の一方の担い手としての消費者を育てることが、健全な市場を生み出し、その結果として自社の利益を含めて、経済全体を豊かにするという認識がありますので、金融教育への企業の支援もまた活発に行われています。 ジャンプスタートのほかにも、金融教育全国基金(National Endowment for Financial Education、 略称NEFE)などはこの分野の代表的な機関であり、その他多くの非営利組織が米国の金融教育を支えています。
英国では民間組織の動きもありますが、現在では金融サービス機構(Financial Service Authority、略称FSA)を中心とする活動が、今、金融教育でもっとも注目されています。とくに、この数年では、学校教育の指針であるナショナルカリキュラムに金融教育を組み込む作業が進んでいます。金融リテラシー(Financial Literacy金融読み書き能力)を育成するために、資格カリキュラム庁(Qualification and Curriculum Authority)と教育雇用訓練省(Department for Education and Skills)に積極的に働きかけて、2000年から必修科目になった“シティズンシップ教育”において金融学習を組み込む努力をしています。
英国では、ニートやホームレスの増加、政治離れなど先進国に共通の悩みを背景に、将来の社会を担う子どもを対象に、“シティズンシップ”という新たな教科横断型の科目を、2000年から導入し、2002年には中学校レベルで必修としたばかりです。“シティズンシップ”では、市民としての社会的・道義的責任、コミュニティ参加、政治的リテラシーの三つの能力を育成することによって、コミュニティの再生、あるいは民主社会の活性化を目指しています。
シティズンシップ教育は、市民として生きていく上での基礎を勉強する科目であり、お金に関する学習も当然にその中に含まれています。 教育雇用訓練省は、金融能力(Financial Capability)は重要で、人々が金融について複雑な決断をする機会が増加していると指摘し、金融能力育成のガイドラインを発行しました。
先行する米英の金融消費者教育は、日本の教育界にどのような示唆を与えるでしょうか。米英では基本的な市場理解、経済社会の理解、市民としての資質の育成という従来の認識に立った消費者教育の路線上に、個人ファイナンスの目標設定を考える金融教育をセットアップしました。
これに対して、消費者問題理解から消費者教育が出発しているところに、日本の消費者教育推進の限界もあるようにも思います。89年のカリキュラム改訂に影響を与え、部分的ではありましたが消費者教育を学習指導要領に位置づける根拠ともなった86年の国民生活審議会要望書「学校における消費者教育について」は、高齢者をターゲットにした85年の豊田商事事件や拡大する若年層のキャッチセールス被害に対処すべく契約教育の必要を訴えたものでした。
消費者教育としての金融教育
たしかに、国民生活センターの統計から見ると、過去5年間でも金融関連のトラブルが急速に増加していることが確認できます。なかでもサラ金・フリーローンに関する相談が突出しています。金融商品は目に見えない商品であるため、商品の品質評価は難しく、デパートで買った商品のように、問題があっても返品することができない商品でもあります。したがって商品選択にあたっては、判断のよりどころとなる情報だけが頼りになります。法律による規制は、問題発生の事後に、再発を防ぐため徐々に整備されてきましたが、次々と新しい商品が開発されると、法律の整備も間に合いません。むしろ、業者の中には法律の網をぬって、違法すれすれの行動をとる者も現れることになります。このような状況のもとでは、消費者は自らの能力を高める絶え間のない学習を必要とします。したがいまして、消費者の学習の機会を提供したり、学習の意欲を高めるための支援活動が、行政の施策としてもますます求められることにもなるでしょう。
各地の消費者センターでは、相談の急激な増加傾向に対処するために、相談員が金融問題に関する勉強会を開催するところも増えています。また、分野の専門性を特化させて、金融専門の相談対応を行う相談員を配置したセンターも出始めました。金融教育は法律規制によっては限界のある部分を埋めるものでもあります。この点に関し、金融分野に関連する専門家の責任は重大であると認識することが求められますし、消費者の自立へ向けた不断の教育活動へのサポートが必要とされるでしょう。
これまで見てきましたように、先行する米英の金融教育に学ぶものは多く、基本的な市場理解、経済認識を深めつつ、日本の土壌に合った個人の金融上のパフォーマンスを高める新しい金融消費者教育がプログラムされることを望みます。