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金融教育フェスタ

金融教育フェスティバル2006

実施報告

6F 知るぽるとタウン みんなで体験!おかねの街

集会場 (センターステージ)

4.マネー講談
 うまい話にご用心、おかねと庶民の知恵

開催時刻:[第1回]13:40~14:00 [第2回]15:00~15:20(各20分)

講 師:神田 紅 氏(講談師)
悪質商法の手口と、だまされないためのヒントを軽快な語り口で紹介します。

神田 皆さんこんにちは。神田紅でございます。空いている席以外は満席状態で本当にありがとうございます。

聞いていただく最初にお願いがございます。拍手をしてもらいたいところがあるんです。その場所はこの張り扇で合図をいたします。この張扇を3つたたいたとき──こんなふうにたたきます。トントントーン。このたたく意味があります。どういう意味かというと、「拍手しーろ」と、こういう意味でございます。ですから、3つたたいたら拍手、これだけはよろしくお願いしたいと思います。
それでは、マネー講談の一席、よろしくお付き合いのほど、お願いいたします。(拍手)

関ヶ原の戦いに勝利した徳川家康は、慶長6年、1601年に慶長金貨、銀貨を発行いたしました。以来、主に東日本では金貨が、西日本では銀貨が流通し、全国では銅銭、金銀銭の三貨制度をとっておりました。ちなみに、あの銀座というところは銀貨をつくったところ、そして日本橋の日本銀行のある場所が金座だったそうでございます。

ステージの様子[1]

また、金や銀や銭の交換をする両替商ができ、貸し付けや為替手形の発行など、銀行に近い役割をいたします。小判の1両は今の6万円から10万円と言われておりますが、その1両が一分金4枚、4分、一朱金なら16枚、16朱、銭は4,000から1万枚、あの銭形平次が投げている1文銭1万枚が1両という価値でございます。文化・文政年間では、年に3両もあったら男性のひとり暮らしができたそうで。


ところで、江戸時代にお米が集まったのが大阪でございます。新潟、越後からたくさんのお米が運ばれて、江戸からそれをはるばる買い付けにくる、そのとき現金を持っておりますと危険です。江戸の両替商でお金を為替手形にしてもらう、これが小切手の始まりでした。小切手を現金にかえてもらうときは、今度は大阪の両替屋で本人かどうかを確かめる、このときに必要だったのが「判子」というものでございます。「ああ、この判子だったら本人のものに間違いない」というのでお金を渡してくれたわけです。

ステージの様子[2]「謀判の罪」

ところが、江戸時代にも悪人はいて、判子を勝手につくってお金をだまし取ろうとする人がやっぱりいたんです。判子の偽造は「謀判の罪」といって、最初は流罪程度でしたが、江戸中期になると死罪または獄門さらし首、さらに引き回しの上に獄門さらし首と、だんだん重罪になっていったそうです。その謀判の罪が出てくる講談をちょっと聞いてください。怪談、四谷怪談というお話の中に……


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