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著名人・有識者が語る ~インタビュー~

物語がはぐくむ遠い世界を思い描くチカラ

作家 上橋 菜穂子

これまで数々の文学賞を受賞し、2014年には、子どもの本のノーベル賞といわれる国際アンデルセン賞作家賞を受賞した上橋菜穂子さん。
異世界の物語を多く描いてきた作家である上橋さんは、文化人類学者というもう一つの顔を持つことでも知られ、その二軸こそが上橋作品の独特の世界観をつくり上げているともいわれます。
「物語ること」を選んだ人生と物語の力について伺いました。

上橋 菜穂子
(うえはし・なほこ)

作家・文化人類学者。東京都生まれ。立教大学大学院博士課程単位取得(文学博士)。オーストラリアの先住民アボリジニを研究。現在、川村学園女子大学特任教授。1989年『精霊の木』で作家デビュー。主な著書に『精霊の守り人』を始めとする「守り人」シリーズ、『狐笛のかなた』、『獣の奏者』、『鹿の王』などがある。

世界中の誰もが楽しめる物語の紡ぎ手

作家 上橋菜穂子

言葉や文化が異なる11カ国から選ばれた選考委員によって、「他者とは異なるファンタジー世界を構築する並外れた力がある」との評価を受けて「国際アンデルセン賞作家賞」に輝いた上橋さん。この評価に接して嬉しく思ったのは、その内容はもちろんのこと「日本人ならではの」というフレーズが含まれていなかったことだと言います。上橋さんが描く物語の世界は、日本でも外国でもなく、現実には無い世界。その異世界の物語が、国境を越え、世界中の誰もが楽しめる物語だと、高く評価されたのです。上橋さんは、大学院生だった1989年に『精霊の木』で作家デビュー。『精霊の守り人』をはじめ、数々の賞に輝いた「守り人」シリーズは日本のみならず、8カ国語に翻訳されて世界中で読まれています。さらに、国内では2016年に「大河ファンタジー」として連続ドラマ化され、2018年まで3年かけて放映される予定です。ところで、原作者として、どのような思いで他人がドラマ化した自分の作品を観ているのでしょうか。

「物語を読んでイメージすることは人それぞれで同じではありませんし、ドラマの制作では、役者さん、スタッフととても大勢の人が携わります。その人たちが、私の作品について一人ひとりイメージしたものを持ち寄って、最終的に一つの作品をつくり上げています。作家という一人で仕事をしている立場からすると、この点がとても興味深く、大変貴重な経験をさせていただいていると思います。テレビドラマなのに映画のようなクオリティですよ。綾瀬はるかさんのアクションは、キレが良くてわくわくするし、大人が楽しめる内容の深さもある。よくここまで見ごたえのあるドラマにしてくださったと本当に感謝しています」。

社会とかかわる人間を意識して

『精霊の守り人』は、女用心棒バルサが、新ヨゴ皇国の第二王妃から託された第二皇子を刺客や魔物から守って戦い続ける物語。第二皇子は、建国正史と矛盾して精霊の卵を宿されたがために、皇国の正統性を第一に考える父帝から疎まれ、命を狙われることになったのです。ここに国の統治のありよう、そして登場人物が背負う宿命が絡み合います。この作品に限らず、上橋さんの物語を少し読み進めると、舞台となる異世界の政治や文化、衣食住にわたる人びとの暮らしぶりなどが実に詳細に描写されていることに気づきます。そして、たちまち読者は、この世界に吸い込まれていきます。例えば、「守り人」シリーズの中でたびたび出てくる主人公バルサの食事のメニューには、目新しくもこんな料理を食べてみたいと思わせるリアルさがあります。物語中のメニューを再現したレシピ本が出版されたり、インターネットのレシピサイトでも多数紹介されたりしていることにもうなずけます。一般に「ファンタジー」に分類される上橋さんの物語ですが、そこで描かれるのは「ふわっと」したものではなく、制度設計が隅ずみまで行き届いた世界。構想段階から、綿密な組み立てを大切にしていると思いきや、決してそうではないようです。

「ある社会を物語で描こうと思ったとき、私にはその世界の社会システムや経済体制などが一瞬で頭に浮かんできます。そのイメージが、登場人物が行動するなかで次つぎに具体的なものになってくるのですね」と上橋さん。そして、

「一瞬にして物語世界が浮かび上がるという感覚、伝わりづらいのですが、そんな感じなんです」と言って笑います。それでは、上橋さんは、どのような関心を抱いて物語を書いているのでしょうか。

「私は、『人間』そのものに興味があるというよりも、『社会で生きる群れ動物としての人間』に関心があります。長い歴史の流れの中で、人間が社会との関わりの中でさまざまな網の目をつくっている。そういう網の目、巨大なネットワークを意識しながら、物語を書いてきました」。それゆえ、上橋さんは、こうした網の目に生じる歪みがときどき、気になるそうです。

「今は、世界各地で起こりはじめている分断の動きが気になっています。自分たちのことを第一に考えよう、他の連中のことは後回しで良い、という考え方が広がって、顔の見えない遠い他者に対する思いやりが薄れていけば、さまざまな問題が生じてくるでしょう。社会が一枚の大きな網だとしたら、ある人びとが、ぐっと布を自分の方へひっぱれば、ほかの部分が歪む。それは不満を生み、争いのきっかけになるので」と。

作家 上橋菜穂子

文化人類学への関心

作家であるとともに、文化人類学者でもある上橋さんから

「人類300万年の歴史を3メートルとすると、そのうち農業が行われた時代はどのくらいの長さになると思いますか」と、尋ねられました。答えは、たったの1センチだそうです。

「残りの2.99メートルは、ずっと狩猟採集をしていたのです。狩猟採集民と聞くと、お金の価値も知らない、経済とは縁がない人たち、というイメージがあるかもしれませんが、『経済』にはさまざまな形があって、狩猟採集民のふるまいの理由を知ると、彼らの経済活動から学ぶべきことは、本当にたくさんあることに気づかされます。例えば、ある狩人がいたとして、彼は、自分が獲った獲物をどう分けると思いますか? 自分で食べる? 家族で分けて食べる? ほかの人にどう分ける? 同じように狩猟採集をしていても分け方は地域によってさまざまです。私が研究してきたオーストラリアの先住民アボリジニは何万年もの間、狩猟採集民として暮らしてきた人たちですが、彼らの食物分配方法を調べたある学者が、狩人たちが獲物を、自分や自分の家族で分けず、ほかのグループの人たちにあげてしまうというやり方をしていたと報告したことがありました。せっかくの獲物を他人にあげちゃって、どうするの、と思うかもしれませんが、自分たちも他者から獲物をもらうので不利益はありません。

でも、なぜ、そんな面倒なことをするのでしょう?

ごく簡単に説明するなら、『身内ではない他者たちと良い関係を築くため』なのです。物の分配によって、家族以外の人びととの絆をつくる。経済は、人と人の間を結んでいる『何か』でもあるのです。『アボリジニ』といっても、暮らしている地域によって、今の文化状況・生活状況はさまざまで、一括りにして語ることはできません。都市で学校の先生をしているアボリジニもいれば、ある程度、伝統的な暮らしを続けている人たちもいます。私の調査地は地方の小さな町でしたが、町で暮らすアボリジニの心の中にも、狩猟採集民らしい『心の在り方』は生きていて、彼らはよく、私に、一番大切なのは『シェアリング&ケアリング(分かち合うことと、お互い世話をしあうこと)』だよ、と言っていました。彼らと暮らしながら、私は、自分が当たり前だと思っていた生活の在り方や、お金の稼ぎ方、使い方が、決して『人類すべての当たり前』ではないのだということを、学ばせてもらいました」

物語を尊敬しているからこそ

文化人類学の主な研究手法は、調査対象の場所に入って、そこに暮らす人びとと共生するフィールドワーク。離島や山村での調査がイメージされますが、

「私は地方の小さな町や小都市に暮らすアボリジニについて学んでいたので、日本に住んでいるのと変わらない生活費が必要です。だから、調査費用を捻出するのには苦労した」とのこと。大学院生の頃作家デビューした上橋さんは本の印税を調査費に使い、大学の学食では好物のかつ丼を我慢して安価なたぬき蕎麦を食べて節約をしながら調査をしていたのだそうです。すでに作家としてデビューしていても、文化人類学の研究を続けたのはなぜでしょうか。その理由について、上橋さんは言います。「物語を尊敬しているから」 だと。

「物語は『私』から生まれてきます。自分の知識の大きさ、広さ、深さだけで勝負していくしかありません。私自身の土壌を豊かにするには、物語る才能以外に、これまで知らなかったことに出会い、ほかの人が気づいていなかったことに改めて気づき、それがなぜかということを自分で導き出すしかないと考えていました。多文化社会で暮らすアボリジニの生活、文化、人生を知る、その経験は、それこそ、自分の土壌を豊かにするうえで、何をもつぎ込んでも悔いのないもの」だったと。幼いころから「口頭伝承」によって祖母から昔話を聞いたり、両親から絵本を読み聞かせてもらったりして育った上橋さんは、小学生のころから「作家になれなければ生きている価値がないと思うくらい、物語のつくり手になりたかった」と言います。それも「アマチュアではなく、多くの人が認めてお金を出して読んでもらえるプロの作家」に。これほどまでに思いを寄せる物語。その魅力について、

「物語を楽しめるというのは、人間の素晴らしい能力だと思うのです。他人が考え出した主人公とともに、心の中でその人生を生き、涙することができる。それを子どものころから経験している人は、他者や社会にも想像力を巡らせていく力を持てるのだと思います。それが、この巨大な社会を何とかコントロールしながら、人間が滅びずに生きていくために必要な力だったのかもしれません」と思いを込めます。

社会と関わる存在としての「人間」に関心を持ちながら、現実の社会ではなく、異世界を描く上橋さん。あえて異世界を描くその理由は、

「普通に暮らしていて、当たり前になっていることの向こう側があることに気づいてもらいたい」から。現実の社会を描くと、読者はどうしても自分が見知っている現実社会について持つ固定観念にとらわれて物語を読んでしまう。そうではなく、

「自分の慣れ親しんだ世界から出て、世界を丸ごと俯瞰してもらいたい。そういう鳥の目で見ることができたとき、他人の視点でものごとを考えることができる」と言います。

ご両親の介護を経験して思うこと

上橋さんの父親はかなり成功した画家でしたが、つねづね「お父さんが急に働けなくなっても失業手当は出ないんだぞ」と自由業の厳しさを聞かされていたそうです。定期的に収入が入るわけではないため、さまざまな工夫をしていたであろう専業主婦の母親は、子どもたちには豊かさと安心感だけを与えてくれたと言います。

「クリスマスや誕生日などには私たちが喜ぶことをたくさんしてくれました。父と力を合わせ、私たちの幸せを第一に考え、私と弟を二人とも大学院に行くまで育て上げてくれた」と言います。この2年余り、上橋さんは、こうして育ててくれた両親の介護中心の生活を送り、昨年、とうとう母親を看取ることとなりました。ご両親の老後に関わって上橋さんは、

「健康平均寿命が70歳台で平均寿命は80歳を超えた今、老後の準備をするには、ものすごい想像力が必要なのだ」ということを思い知ったそうです。「私の両親は、退職金もない自由業であったがゆえに、老後に向けて若いころから準備をしてきました。それでも、社会条件が大きく変化してしまい、両親がイメージしていた老後と現実とは異なるものになってしまった。歳をとれば、どんなにがんばっても、他者に助けてもらわなければできないことがたくさんあります。だからこそ、みんなで生きていると思いますし、一人では生きられない人を社会で支え合わなければならないということを真剣に考えねばならない。そのとき大切になるのは、自分に近しい人だけでなく、顔も知らぬ遠い人びとを思いやれる心だと思うのです」と言う上橋さん。「分かち合い、お互いの世話をしあうこと」は、狩猟採集民の社会だけでなく、現在、そして、これからの私たちの暮らしにおいても、変わらぬ意味を持ち続けていくのでしょう。

本インタビューは、金融広報中央委員会発行の広報誌「くらし塾 きんゆう塾」vol.40 2017年春号から転載しています。


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