ナビゲーションをスキップして本文へ

これより本文です

著名人・有識者が語る ~インタビュー~

心の強さが人生を変える

順天堂大学准教授 鈴木 大地

ソウルオリンピックでは、バサロキックを武器に日本中を沸かせて金メダルに輝き、引退後は指導者、大学教員として教育と研究に携わっている鈴木大地さん。
日本オリンピック委員などいくつもの要職を務め、子どもからお年寄りまで、健康増進のための水泳の普及に取り組んだり、オリンピック出場選手たちをエネルギッシュに支えています。
そんな鈴木さんにご自身のお金観やたくましく生きるヒントを伺いました。

鈴木 大地
(すずき・だいち)

小学校2年生で水泳を始め、高校進学後、個人メドレーから背泳に転向。記憶に残るソウル五輪では、得意の「バサロスタート」を駆使し、100M背泳で金メダルを獲得。当時、日本競泳界では16年ぶりの金メダル獲得の快挙となり、日本の水泳を一気にメジャースポーツに引き上げた。現在は、順天堂大学准教授としてスポーツ医科学の研究に取り組む傍ら、同大学水泳部監督として後進の指導・オリンピックや世界水泳選手権などのニュース・スポーツ番組に出演。また講演、執筆、水泳教室講師など幅広い分野で活躍中。

少年時代の夢が現実になったオリンピック出場

取材先で訪れた国立スポーツ科学センター。その会議室で鈴木大地さんとのインタビューが始まった。ロンドンオリンピックを前にして多忙を極めている鈴木さん。けれどそんな素振りはまったく見せず、爽やかに質問に応じてくれた。鈴木さんの水泳との出会いは7歳のとき。体が弱かったのでそれを鍛えるために自宅近くのスイミングスクールに通い始めたのがきっかけだ。

「まったく漠然とでしたが、入会のとき、なぜかオリンピック選手になりたいと思ったのを覚えています。始めたばかりのころは、特に成績がいいわけでもありません。それでもその気持ちをずっと持ち続けていました」と鈴木さん。平泳ぎだけは少し苦手だったがクロールやバタフライなど一通りの泳法を経験し、個人メドレーで競技会にも出場。その中で一番成績の良かった背泳ぎに力を入れていく。中学時代になると当時個人メドレーの選手によく見られたバサロキックを自身の泳ぎに取り入れていった。

水泳に没頭する鈴木さんに迷いが生まれたのは高1のころ。

「練習を終えて帰ってくるのは深夜です。もう疲れ切って勉強どころではありませんでした。けれどいずれ受験勉強もしなければなりません。そんな中で『俺は、このまま泳いでばかりいていいのか』と迷いだしたのです」

しかし、そんな鈴木さんの迷いを断ち切るかのように記録や順位が上がっていく。とうとう高2のときに日本記録を出せた。今までの迷いは、嘘のように晴れる。そして当時のコーチから「このままいけばオリンピックに行けるぞ!」と言われた。また高校の校長先生からも「君はオリンピックに行きなさい!」と励まされる。

それから鈴木さんは本気でオリンピックを意識するようになった。初めは冗談半分に聞いていた家族も本気だと認めてくれた。応援してくれる人が増え、それがまた自身の頑張りに繋がった。そして1984年。高3のときにロサンゼルスオリンピックに出場。水泳を始めたときから持ち続けてきた夢が叶った。目標を持ち、それを実現する達成感を味わい、人生は面白いと思うようになる。

ソウルオリンピックで全精力を出し切り、引退

ロサンゼルスオリンピックの4年後、鈴木さんはソウルオリンピックに出場する。1988年、大学4年のときだ。

試合の様子を記憶している読者も多いことだろう。予選ではライバルのデビッド・バーコフ選手に勝てず2位。その後の決勝戦で見せてくれたのがバサロキックでより長く潜る戦術だった。その結果、金メダルを奪取する。

「試合は接戦でした。しかしこれは自分がそれまで何年間も行ってきたイメージトレーニング通りの展開だったのです」と鈴木さんは当時を振り返る。そしてこの試合を経験し、想念の不思議さを感じたと言う。よく考えれば子どものころから見ていたオリンピックの夢も同じだった。「なんとなくの夢」がいつの間にか醸成され、それが「目標」になり、そして現実になった。

日本中を沸かせた鈴木さんの金メダル。そのために全精力を使い果たしたのか、ソウルオリンピック終了後は少しずつ引退を考えていく。

「次のバルセロナも頑張ろうという気持ちは多少ありましたし、実際にそのための練習に打ち込んだ時期もありました。けれど、どうしても調子が出ないのです。そしてバルセロナ五輪の選考会の1カ月前に引退を発表しました。25歳のときでした。ちょうど四半世紀で切りがいいかなと自分に言い聞かせていました。ところが、あれほど子どものときから打ち込んできた水泳です。実は、引退を皆に告げてからも自分のホームグランドともいえるプールで『もしかしたらまだ行けるかも』と思って泳いでみたのです。そうしたらやっぱりダメでした。そこまでやって完全に諦めがつきました」と鈴木さんは話す。

指導者、研究者として水泳の幅広い世界を知っていく

水泳選手引退後、鈴木さんの新しい人生が始まった。それは選手時代から考えていた “人を育てる”という道だった。

大学院を修了し、鈴木さんは母校の順天堂大学の助手に。そして1年後、コロラド大学の研究員やハーバード大学のゲストコーチとして海外で活躍する場を得た。

「ハーバード大学では、ただ勉強に勤しむだけではなく、その他の分野で何ができるかも問われていました。もちろん、その逆も同じで一流のスポーツ選手は学ぶことにも全力だったのです。スポーツと勉学との関係について大いに考えさせられ、いい経験をしました」と鈴木さん。事実、学問の府として世界最高水準のハーバード大学は、オリンピックで獲得した金メダルの数も卓越していることを鈴木さんは話す。またライバルだったデビッド・バーコフ選手もハーバードで学び、卒業後は弁護士として活躍しているという。

やがて帰国した鈴木さんは再び大学の教壇に戻り、学生たちの指導にあたる。2003年には、元オリンピック選手の団体である世界オリンピアン協会の日本代表になり、同協会の理事にも就任する。その報告を大学にした際に、「世界を相手にするなら」と博士号の取得を勧められ、すぐに医学部の研究室に通い論文研究に取り組み始めた。それは今までとは違った研究者としての道だった。その中で鈴木さんは、水泳が100分の1秒を争う競技であると同時に、子どもからお年寄りまで健康増進に役立つものであることを実感し、水泳の普及にも力を注ぐ。同時に競技会の役員として運営事務を経験し、水泳競技がいろいろな人の支えで成り立っていることを身をもって知る。選手時代には気づかなかった水泳の奥深さが鈴木さんの心をとらえていった。

その人に乗り越えられない困難は来ないという視点

選手として、そして指導者や研究者としてエネルギッシュに生きる鈴木さん。しかし20歳のときには原因不明の腰痛に悩まされ、寝たきり状態になった時期がある。

「そのときは選手生命も危ぶまれる状態でした。なぜ自分だけがこんな目に遭わなければならないんだと思っていました。精神的に追い込まれているときは、考え方も小さくなってしまうんですね。そんなときに読んだのがさまざまなアスリートの闘病記だったのです。なかでもあるアスリートの闘病記の記録を読み続ける中で、悩んでいるのは自分だけじゃないことを知って気が楽になり、さらに、そこに挑んでいく勇気をもらいました」

やがて鈴木さんは腰痛を克服し、健康を取り戻してからは、さらに心の強さを大事にしていく。

「水泳は何回もターンしながらプールを往復するという、ある意味では、単調なスポーツです。その中で自分と対話し、どうすれば心をもっと強くできるかを泳ぎながら考えるようにしてきました。そしてそこで生まれたいろいろな思索を自分のエネルギーに変えていく習慣をつけていったのです。水泳は最後は感性の勝負だと思っていますから」

そう話す鈴木さんにとって困難とは、人それぞれの器に応じてやってくるものだと言う。だからこそ乗り越えられない困難はないと強調する。

「困難だけはターンは禁物。窮地に陥ったら、自分がそこから何かに気づいたり、学んだりする機会なのだと思えば良いと思います。そして、最大限の努力と工夫で乗り越えていきたいものです」と語る。

自身と他人の成長のためにお金を使っていきたい

そんな鈴木さんにお金に対するモットーを聞いてみた。

「私はお金には良い使い方というのがあると思います。最も良いのは、自分や他人の成長のために使うことではないでしょうか。実際、そのことで喜びを感じることが多いような気がします。その意味で教育にお金を使うことは良いことだと思っています」と鈴木さんは話す。

鈴木さんの視線は今、ロンドンオリンピックに参加する選手たちに注がれている。実はロンドンでのオリンピックは、1948年にも開催されている。しかし、日本は第2次世界大戦の影響で参加することはできなかった。その当時、フジヤマのトビウオと呼ばれた古橋広之進選手などは、当時の金メダルのタイムを凌ぐ記録を持っていた。このためロンドンは、日本の水泳界にとって、長い間、無念の地となっていた。

そんなロンドンでのオリンピックに出場する水泳選手たちに鈴木さんが願っていることは、選手たちの活躍がこの日本を元気にしてくれること。

「残念ながら日本は今、不景気などであまり元気がありません。選手たちには思い切りがんばってもらって、日本中を熱く沸かしてほしいですね」と話す。そうした選手たちを支えることに鈴木さんは大きな意義を感じている。

本インタビューは、金融広報中央委員会発行の広報誌「くらし塾 きんゆう塾」Vol.21 2012年夏号から転載しています。


くらしに身近な金融知識をご紹介する「くらし塾 きんゆう塾」

著名人・有識者へのインタビューのほかにもお役立ち連載がいっぱいです。

著名人・有識者が語る一覧をみる

  • 日本文学研究者・早稲田大学特命教授 ロバート キャンベルさん
  • 歌手・タレント・女優 森公美子さん
  • 映画字幕翻訳者 戸田奈津子さん
  • タレント つるの剛士さん
  • テレビ東京報道局キャスター 大江麻理子さん
  • 落語家 春風亭一之輔さん
  • 教育評論家 尾木直樹さん
  • タレント はるな愛さん
  • 俳優 高橋克実さん
  • 料理コラムニスト 山本ゆりさん
  • ヴァイオリニスト 宮本笑里さん
  • デザイナー・アーティスト 吉岡徳仁さん
  • タレント デヴィ・スカルノさん
  • デジタルクリエーター・ITエバンジェリスト 若宮正子さん
  • 元新体操選手・タレント 畠山愛理さん
  • 俳優 内野聖陽さん
  • 歌手・俳優 石丸幹二さん
  • 俳人 夏井いつきさん
  • 女優 山村 紅葉さん
  • 料理研究家 土井 善晴さん
  • IT企業役員・タレント 厚切りジェイソンさん
  • プロサッカー選手 中村 憲剛さん
  • 脳科学者 中野 信子さん
  • 作家 上橋 菜穂子さん
  • 落語家 林家 たい平さん
  • 劇作家 演出家 女優 渡辺 えりさん
  • 青山学院大学陸上競技部監督 原 晋さん
  • 東京女子医科大学 先端生命医科学研究所教授 清水 達也さん
  • 元スピードスケート選手 長野五輪銅メダリスト 岡崎 朋美さん
  • 工学博士 石黒 浩さん
  • 日本体育大学教授 山本 博さん
  • 編集者 評論家 山田 五郎さん
  • 作家 荒俣 宏さん
  • 医学博士 日野原 重明さん
  • 山形弁研究家 タレント ダニエル・カールさん
  • 公認会計士 山田 真哉さん
  • タレント パトリック・ハーランさん
  • 精神科医 立教大学教授 香山 リカさん
  • 野球解説者 中畑 清さん
  • 順天堂大学准教授 鈴木 大地さん
  • 昭和女子大学理事長・学長 坂東 眞理子さん
  • プロスキーヤー クラーク記念国際高等学校校長 三浦 雄一郎さん
  • 明治大学文学部教授 齋藤 孝さん
  • マラソンランナー 谷川 真理さん
  • 数学者 秋山 仁さん
  • TVキャスター 草野 仁さん
  • サッカー選手 澤 穂希さん
  • ピアニスト 梯 剛之さん
  • 女優 竹下 景子さん
  • 食育研究家 服部 幸應さん
  • おもちゃコレクター 北原 照久さん
  • 宇宙飛行士 山崎 直子さん
  • 早稲田大学名誉教授(工学博士) 東日本国際大学副学長 エジプト考古学者 吉村 作治さん
  • 工学博士 淑徳大学教授 北野 大さん
  • 登山家 田部井 淳子さん
  • 音楽家 タケカワ ユキヒデさん
  
  • Let's チョイ読み!

おすすめコンテンツ

  • くらし塾 きんゆう塾
  • 刊行物のご案内
  • 金融経済教育推進会議
  • ナビゲーター
  • 伝えたいこの一言~生きるために大切な力
  • 金融リテラシー 講師派遣・講義資料・講座