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著名人・有識者が語る ~インタビュー~

焦らず続けることが大事 やれば結果はついてくる

元スピードスケート選手/長野五輪銅メダリスト 岡崎 朋美

1998年の長野オリンピックのスピードスケート女子500mで銅メダルを獲得し、2006年のトリノオリンピックでは日本選手団主将を務めるなど、世界を舞台にスピードスケートのアスリートとして活躍、その“朋美スマイル”で人気を博した岡崎朋美さん。
2013年に現役を引退し、現在は5歳のお子さんの子育て真っただ中の岡崎さんに、アスリート人生の基礎をつくった生い立ち、現役アスリート時代、子育て論についてうかがいました。

岡崎 朋美
(おかざき・ともみ)

元スピードスケート選手。北海道出身。 高校卒業後、富士急行に入社しスケート部に所属。 冬季五輪に日本人女性選手として最多の5大会連続出場を果たす。 1998年の長野冬季五輪では日本女子短距離界初の銅メダルを獲得し、〝朋美スマイル〟で一躍人気者に。 結婚・出産後も「ママさんアスリート」として活躍。 2013年、ソチ五輪代表選手選考競技会を最後に現役を引退。

スケート王国に生まれ、育つ

北海道東部、オホーツク海へ伸びる知床半島にほど近い清里町で、酪農業を営む家庭に生まれた岡崎さんは、 三人きょうだいの末っ子として、大自然を遊び場に育ちます。 体力的にも体格的にも、女の子と遊ぶより男の子と遊ぶ方が楽しいという活発な女の子でした。

清里町は冬季には町営スケートリンクを設営するほどスケートに熱心に取り組んでいる土地柄。 学校の体育の授業にもスピードスケートを取り入れており、 岡崎さんの母親は「朋美が体育でスケートができないと可哀想」と、 多忙な仕事の合間にスケートリンクへ連れて行ってくれたそうです。

そんな岡崎さんが本格的にスピードスケートを始めるきっかけになったのは、 小学校3年生のときにやって来た転校生の存在です。 スポーツ万能の女の子のライバルができ、運動会の徒競走でも1着、2着を争うなか、すっかり仲良しになった二人。 そんな大好きな友人が地元のスピードスケート少年団に入ると言い出し、岡崎さんも一緒に入団しました。

「友だちと一緒に同じことがしたいという気持ちで始めましたが、次第にスケートそのものに夢中になっていきました。 うちは酪農業で両親とも忙しく、送り迎えは母がしてくれましたが、 彼女の家で待たせてもらったり、食事をごちそうになったり、お世話になることも多く、姉妹のように面倒を見てもらってとても楽しかったのです」。

それでも、練習を休みたいことだってあるはず―。そんなとき岡崎さんの母親は、引っ張ってでもリンクへ連れていき、休まず続けることの大切さを教えてくれました。 一方、父親は黙ってスケート靴を研ぎ、ボソリとひと言、「やるんだったらしっかりやれ」と応援してくれたといいます。

「姉兄の姿を見て育ち、親に言われる前になんでもできる手のかからない子だったので、ほとんど叱られた経験もありません。 それだけに、やると決めたら続けることの大切さを教えてくれた両親の言葉は重く、子ども心にも『しっかりやろう』と思いました」。

スケートのために親元を離れて進学

岡崎さんがスピードスケートに惹かれた理由は何だったのでしょうか。

「どんなスポーツでも上手にこなせたため、自分でも運動能力には自信を持っていました。 だけど、スピードスケートだけは思うようにいかないんです。 自分が思っていることと、氷にエッジが伝わる感覚がズレてしまう」。 そのはがゆさが、負けん気の強さを刺激し、いつも「どうしたら速く滑れるようになるか」を考えていたといいます。

高校は地元の清里町ではなく、親元を離れ、釧路市にあったスピードスケートで有名な女子高(釧路星園高校・2009年に閉校)に進みます。

「他校にはすごい選手も大勢いて、伸び悩んだことも多かったですね。 でも、そうした相手に運よく勝てたときの喜びが大きくて、次へのモチベーションになっていました。 さぼらずに続けて一生懸命やれば結果はついてくるし、怠けてズルをすれば結果は出ない。 それだけははっきりしていましたね」。

インターハイでの戦績は4位。ただ、高校卒業後もスピードスケートを続けるかどうかには迷いがあったそうです。

「小中高の間は周囲にあと押しされ、方向性を作ってもらっていたから、スピードスケートを続けていられたのだと思います。 いろいろなことを経験したい時期でもあったので、就職も考えていました。働いて早く自立したい気持ちもありました」。

ところが高校2年のときに、ある出会いが訪れます。 釧路市で全日本スプリントスピードスケート選手権大会が開催され、 そこでのちに就職することになる富士急行の監督に声をかけられたのです。

実業団に誘われ、「名門実業団でスピードスケートができる。 無名の自分がなぜ監督の目に留まったのだろう」── その驚きと喜びを胸に、岡崎さんは生活を山梨県へと移し、以後は日本中から注目されるスプリント選手へと成長していきます。

才能の開花を焦ることなく

こうして岡崎さんは富士急行に入社します。

当時、同社にはスピードスケート界のスター選手・橋本聖子氏(現参議院議員・公益財団法人日本スケート連盟会長)をはじめ、 五輪で活躍するレベルの選手が多数在籍していました。 そんなエリート集団の中では、岡崎さんの実績は突出したものではありませんでしたが、 周りに臆することなく、逆に「手本とする人が大勢いてまだまだ自分は成長できる」と思うなど、岡崎さんのモチベーションはさらに高くなっていきました。「プロ意識を持たなければ──」と。

1年目から自己ベストをつぎつぎと更新し、まさに急成長を遂げた20歳前後のころは、自分の身体を作りながら着実に成長していく実感が持てる充実した毎日だったそうです。

その後、女子スピードスケートの日本代表として、 1994年、22歳でリレハンメル五輪14位。 1998年、26歳で長野五輪銅メダル。 2002年、30歳でソルトレイク五輪6位(日本新)。 2006年、34歳でトリノ五輪4位。 2010年、38歳でバンクーバー五輪にも出場、 冬季五輪の日本人女子選手としては前人未到の5大会連続出場を果たすなど、 長い期間にわたって、第一線で活躍を続けました。

2013年12月のソチ冬季五輪代表選考会を機に引退する42歳まで、現役のアスリート生活を続けられたことについて、 岡崎さんは、自分が「遅咲きだったのが却って良かった」と話します。

「実は高校進学の際、別のスピードスケートの強豪校からもお誘いをいただいていたのです。 でも、スケート一本にまだ進路を決めきれていなかったこともあり、トレーニングが厳しいと評判の強豪校ではなく、競技を楽しむことができそうな高校を選びました。 若いうちから頭角を現したものの、周囲の期待を背負って強いプレッシャーのなかで目標を失ってしまった選手も見てきました。 五輪への初出場は22歳とやや遅めでしたが、このころようやく、スピードスケートに本気で頑張りたいという自分の気持ちや、 アスリートとしてやっていくことの面白味が分かってきたこともあって、周りの熱狂に翻弄されることもなく、物事を俯瞰して冷静に見ることができたように思います」。

また岡崎さんは、メディアにもてはやされるスター選手を外側から見ていて、 「自分を見失わずにどう対応していくべきなのかを学ぶことができました。 とくに橋本聖子さんのマスコミをはじめとする周囲への対応はよいお手本でした」と言います。

そんな観察力が功を奏したのか、岡崎さんへのマスコミ各社の対応はとても好意的だったと振り返ります。 マスコミはこぞって「朋美スマイル」を追いかけ、関係も非常に良好。 「ヘルニアで一時選手生命が危ぶまれたときは、私よりマスコミがどんよりしていました。 逆に、私が落ち込んではいられないと奮起するきっかけになったほど」と笑います。

「病気もケガも、アスリートは順調なときこそ油断せず、本番に体調をベストに持っていけるよう気を配らなければなりません。 トリノ五輪は前哨戦がとても順調だったので本番に向けたコンディション作りには却って慎重に気をつけていたのですが、 レース直前で体調を崩して調整のサイクルが狂ってしまい、100分の5秒差でメダルを逃してしまいました。 原因は体調だけではないかもしれませんが、完璧ではない状態で臨んだ戦いで負ける悔しさといったらありません」。

アスリートとして学んだ「後悔のないよう万全を期すことの大切さ」も岡崎さんを20年以上も支え続けたプロ根性のひとつのようです。

母として、今は子育てに奮闘中

岡崎さんは今、生活の拠点を東京に移し、都内で子育ての真っ最中です。

知床半島のつけ根にあるオホーツクの小さな町で育った岡崎さん自身の子ども時代は、地域にあるお店といえば農協が運営するスーパーくらい。 買うものはお菓子など限られたものばかりで、おこづかいをもらった経験はなかったといいます。

「お友だちの家にあるオモチャが羨ましいこともあったけど、覚えているのは、 当時の人気アイドルがプリントされた自転車を買ってもらって、とてもうれしかったことぐらいで、とくにおこづかいを欲しいと思ったことはありませんでした。 ただ、もらったお年玉を親に預ける際には、「封筒に『朋美 あけるな』と書いて封印していましたね」というほほえましいエピソードもあるそうです。

高校時代はスピードスケート仲間の4人で下宿生活を送り、下宿屋のおじさんが管理して渡してくれていた毎月のおこづかいでやりくりしていたそうです。 「自転車に乗れない冬は、下宿から練習場までバスや電車を使って移動するので、交通費がけっこうかかりました。 そんななか、仲間の一人が、途中、4人割り勘でタクシーに乗るなど、なるべく交通費のかからない移動方法を考えてくれたので、交通費の管理も、そんなやりくり上手な彼女に任せていました」といいます。

「相手が得意な分野であれば素直にお願いする“甘え上手”なところがあるので、私ができそうにないことはみんなが心配してくれるんです」と屈託なく笑います。

若いころからスピードスケート中心の生活で、取り立てて欲しいものはなく、お金に苦労した記憶もないそうですが、決して浪費はしないタイプ。 無駄なことには敏感で、「残り湯で洗濯は当たり前」という経済観念の持ち主でもあります。

2007年に結婚し、現在は5歳の娘の母。愛娘の欲しがるものをついつい買い与えてしまう甘い夫に対して、 「ママは必要なものしか買いません」ときっちり役割分担をしているそうです。

「与え過ぎて、ものを大切にしない人に育ってしまうのは嫌。 買ったときだけ大切にして、すぐ放り出してしまったり、いつの間にか忘れて、また新しいものを欲しがったりされると、 娘を何もない故郷に連れて行きたくなりますね」と笑います。

都会はいろいろなものを目にする機会が多く、なんでも欲しくなるのが子ども。 暮らしには便利なものが揃う反面、教育上はどうしていけばよいのだろうと、しばしば判断に迷うことも多いそうです。

「都会という便利な環境でガマンをさせるのも教育。 でも、ガマンをさせ過ぎると、大人になったらその反動が出ることもあると聞くので、その与え方の加減には悩むこともあります。 きっと子どもの様子を見て、理解させながら、手探りで子育てしていくのだと思います」。

ものの大切さや、いつも自分のワガママが通るとは限らないことなども教えながら、 「あなたのお願いを聞くから、パパとママのお願いも聞いてね」という親子のやりとりが岡崎さんファミリーの日常だと言います。

まだお子さんも幼く、おこづかいを与えたり、教育費にお金がかかったりするのもこれから。 そのため、将来のライフプランはまだ未確定な部分も多いという岡崎さん。

「子どもにいくら残して、自分たちはどう“生きたお金”の使い方をしていくべきか、ベストな方法はこれから勉強していくつもりです。 年金や税金のことなど、老後苦労しないように、事が起きてから焦らないように、もっと簡単に分かる仕組みがあればうれしいですね」。

子育て経験も生かし次のステージへ

岡崎さんは夫婦ともにスポーツの世界で育ってきたため、お子さんもアスリートに育てたいという気持ちは満々。 ただ、「親はあくまで子どものあと押しをするだけ。上手に誘導してあげることが一番のサポート」だと言います。

「子どもは途中で嫌になってしまうことも多いもの。中高生になればさまざまな誘惑があり、興味関心もあちこちに移っていきます。 そうした中でスポーツは1日でも休むと遅れを取り戻すのが大変と、親が焦って嫌がる子どもに無理強いすると反発してしまいますし、自発的に『やりたい』と思えることが一番。 本当に行きたくないときは『ちょっと休もうか?』と気晴らしをさせてあげることも大切です」。

幼いころから一つの競技を続けてきた岡崎さんならではのアスリート育成論は実践的で説得力があります。 今後もぜひそうした経験を生かして活躍していただきたいところですが、どのような展望を持っているのでしょう。

「やはり冬季スポーツ、スピードスケートの振興にはなんらかの形で貢献していきたいです。 もっと競技の知名度を上げること、現役選手に活躍してもらうこと、やはり五輪でメダルを狙える選手を増やしていくことに貢献できたら、 支えてもらった皆さんへの恩返しにもなると思っています」。

スピードスケートは個人スポーツ。ただ、五輪選手は、自分一人だけの力で五輪に出られるわけではありません。 監督、マネージャー、ヘルスケアやメンタルケア、栄養のプロ、スケート靴の開発に携わる技術者など、さまざまな分野のサポートを受け、初めて五輪の舞台に立つことができるもの。 末っ子らしく上を見て学び、自分の振る舞いを自然に身につけていける柔軟さと、しなやかな発想、明るい“朋美スマイル”で周囲を味方につけていく人間力の高さが岡崎さんの大きな魅力です。

このたび、25年以上在籍した富士急行を退職し、新たなステージへと羽ばたいて行く決断をした岡崎さん。 素直な感性で周りを巻き込んでいく力を武器に、今後どのような場面で私たちを魅了してくれるのか、とても楽しみです。

本インタビューは、金融広報中央委員会発行の広報誌「くらし塾 きんゆう塾」Vol.35 2016年冬号から転載しています。


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