著名人・有識者が語る ~インタビュー~
未来への希望を映し出すようなものを表現したい
デザイナー・アーティスト 吉岡徳仁
ニューヨーク近代美術館やポンピドゥー・センターなど、世界の名だたる美術館に作品が永久所蔵され、国際的な賞を多数受賞しているデザイナー、吉岡徳仁さん。
東京2020オリンピック・パラリンピックでは聖火リレートーチのデザインを手がけています。
革新的な造形美にあふれ、驚きと感動を与えてくれる作品はどのように生まれてきたのでしょう。
作品誕生や人生観について、語っていただきました。
吉岡 徳仁
(よしおか・とくじん)
1967年生まれ。倉俣史朗、三宅一生の下でデザインを学び、2000年に吉岡徳仁デザイン事務所を設立。デザイン、建築、現代美術の領域において活動。代表作に、ガラスのベンチ『Water Block』、結晶の椅子『VENUS』など多数。東京2020オリンピック・パラリンピックでは聖火リレートーチのデザインを手がける。芸術選奨文部科学大臣賞新人賞、Design Miami/Designer of the Yearなど国際的な賞を多数受賞。2007年にはアメリカNewsweek誌による「世界が尊敬する日本人100人」に選出。
著名なデザイナーとの出会いに触発された青春時代
吉岡さんは1967年、佐賀県で生まれました。アートの世界に興味を持ったのは小学生のころ。レオナルド・ダビンチとの出会いがきっかけでした。
「科学と美術が融合した作品や発明品を見て、驚きました。僕も自分の発見したことを形にして人を驚かせたりするのが好きだったので、興味を持ちました」。
アートの世界に心惹かれた吉岡少年に、デザイナーという職業があることを教えてくれたのは、お父さま。車であれ、ドアノブであれ、どんなモノを作る工程にもデザインがあり、それを考える職業があることを知った吉岡少年は、「いつか自分もそんな職業に就いてみたい」と思い始めたといいます。
その後、高校進学の際は迷わず、当時、九州で唯一デザイン科のあった有田工業高等学校へ進学。卒業後は東京の桑沢デザイン研究所に進み、計6年間、デザインの基礎をみっちりと学び、夢の実現へと一歩ずつ近づいていきました。
「高校はとにかく厳しくて、毎日が修業のようでした(笑)。3日おきに課題が出て、次々に提出して。遊んだ記憶がないくらいデザインに没頭していました。でも、デザインすることは楽しかったです。その当時から、今も大きなテーマになっている“光”の表現を意識し始めていました。光は、光だけ描いても表現することはできず、影の部分があって、初めて強調される。そういう表現方法を学べたことは大きかったですね」。
桑沢デザイン研究所を卒業後は、インテリアデザイナーとして第一線で活躍していた倉俣史朗氏に師事。その後、倉俣氏と親交のあったデザイナー三宅一生氏の下で、空間やパリコレクションのアクセサリーのデザインを担当します。
「一生さんが、工業デザインや造形を専門としている人を探していて、倉俣さんが『それなら、面白いやつがいる』と、僕を推薦してくれたんです。一生さんの下での主な仕事は、ファッションとは異なる着眼点で、今までにない面白い素材を探してくることでした。深夜まで働く毎日は大変でしたが、まわりの方は皆、志が高くて、自分たちのアイデアで社会を変えていくんだという力強さやエネルギーがあり、大いに刺激を受けました」。
三宅氏の下での仕事で、特に印象的だったのが1992年のパリコレクション。吉岡さんはショーに使う帽子や時計などを担当していたのですが、このとき「フィナーレで使う帽子、何か面白いものないかな」と言われ、「透明な帽子がいい」と直感。透明度の高いシリコンを取り寄せて帽子を作り、世界中をあっと驚かせました。
「あの帽子は、今でも一番記憶に残る作品です。でも、実は、見た目よりもずっと重量がありましたから、当時のモデルさんも大変だったのではないでしょうか(笑)」。
世界が認めたハニカム構造が美しい“紙の椅子”
フリーに転身したのは29歳のとき。
「もともと専門だった空間やプロダクトのデザインに専心しようと思っての独立でしたが、当時はまだ、工業デザイナーという存在が認知されておらず、デザイナーを使う企業も少なかった。だからまず、自分のアイデアを作品として発表するところから始めました。自分にしか作れないものを作り、世界がどう反応するかを見てみたいと思いました」。
最初の作品に選んだのは“椅子”でした。椅子にはデザイナーの個性や思想が明確に表れるといわれ、実際、多くの著名なデザイナーが作品を世に送り出しています。世界に類を見ない新しい発想が求められるなか、吉岡さんが出した答えが“紙の椅子”でした。
「表面的なことだけを変えても革新的なものはできません。大事なのは構造からデザインすること。そこで浮かんだアイデアがハニカム構造の椅子でした」。
ハニカムとは「ハチの巣」の意味で、正六角形や正六角柱を隙間なく並べた構造。衝撃吸収性が高く、強度に優れています。
「何より、自然界に存在する構造であることに魅力を感じたのです。まずは、小さなサンプルから検証を始めました。普通、紙はつぶれることで価値を失いますが、僕はそのグシャッとなった姿が、逆にきれいだなと思ったんです。そうやって、既成概念を取り払い、誕生したのが、ハニカム構造を持つ椅子『Honey-pop』です」。
『Honey-pop』は、わずか1cmの薄さに積層された120枚の薄紙を広げることによって立体となり、人が座ることで椅子のフォルムになります。繊細さと強靭さを併せ持つ、まさに誰も考えつかなかった斬新な作品でした。2001年に発表されると、世界は驚きと称賛をもって迎え入れました。デザイナー吉岡徳仁が世に出た瞬間でした。『Honey-pop』は、その後、ニューヨーク近代美術館をはじめ5つの美術館や博物館で永久所蔵品に選定され、今も多くの人に感動を与えています。
こうして、自らの方向性が見えてきた吉岡さんでしたが、まだ将来がどうなるかは不透明な状態。しかし不安はそれほど感じなかったといいます。
「独立したときも、お金を稼ぎたいという思いはそれほどなくて。それよりも重要だったのは、作りたいものを作れるようになることでした。生活はなんとかなるだろうと(笑)。アーティストとして、何を社会に対して提示していけるか、ということが僕にとっては何より大事だったのです」。
人生の中のものは、すべて “借りているもの” それより素晴らしいことがある
世界の注目を集めた吉岡さんは、さらに「光とデザインの融合」という壮大なテーマに取り組み始めました。
「もともと、ガラスやシリコンなど、透明なものに興味があったのですが、それは光を表現するうえで重要な素材だからです。僕が表現したいのは光そのもので、どうすれば形のない光を表現できるのか、ずっと考えていました」。
その一つの答えが、2002年のガラスのベンチ『Water Block』です。透明でありながら光の屈折によって強いオーラを放つガラスのベンチは、まるで美しい水の塊を思わせます。高い純度と透明度を持つガラスは日本古来の技術で作られており、アートと技術が生み出した傑作となりました。現在、パリのオルセー美術館の印象派ギャラリーに常設展示されており、そのことからも評価の高さがうかがえます。
以後、自然との融合をめざした作品が次々に誕生。2008年の結晶の椅子『VENUS』、2011年の『ガラスの茶室ー光庵』などが誕生しました。中でも大変だったのは『VENUS』でした。
「ハニカム構造もそうですが、自然界に存在する構造に興味があり、結晶はぜひ挑戦したい素材でした。巨大な水槽に特別な成分の入った溶液と繊維の塊を入れると、そこに結晶が成長していきます。事務所の駐車場で1か月かけて制作したのですが、知らない人が見たら、ちょっと怪しい集団ですよね(笑)。結晶は自然の産物ですからコントロールができません。だからこそ人間の想像を超えた美しさが生まれ、発見がある。大変だけど楽しい作業でした」。
こうして、次々と発表される斬新で美しい作品群。そのアイデアはどんなふうに生まれてくるのでしょうか。
「食事をするように、呼吸をするように、常に無意識にデザインのことを考えています。朝起きて、コーヒーを飲みながら、あるいはテレビを見ながら、ふっとアイデアを思いつく。頭の中で8割がたイメージができたら、初めて机に向かって具体的な形にするための作業をします」。
作品を形にするためには、費用のことも同時に考えます。その方法は、三宅一生氏の下で働いていたときに学んだといいます。
「当時、一生さんのところでは、たくさんのプロジェクトの空間デザインを、僕一人で担当していたので、成功させるためには、スケジュールや予算を考えながらデザインをきちんと形にしなくてはならなかったのです。幸い、費用のことであまり苦労をしたことはありませんが、費用をかけてでも価値あるものを作る、という考え方が自然と身に付きました」。
オンとオフの切り替えは特にしないという吉岡さんですが、ときには車に乗り、ふらりと近場のキャンプ場へ出かけるそう。一人でテントを張り、自分を見つめる時間は、貴重なオフタイムだといいます。
「ただし、あまり道具には凝らないです。最低限の物があれば事足りるといいますか。物やお金に執着がないんです。よく思うのは、人生の中のものは、すべて“借りているもの”だということ。たとえ自分で買ったものでも、それは、いつかはなくなってしまうもの。だからあまり物を買ったり集めたりもしません。それよりもっと素晴らしいことが、自分の中にはあるので、それを形にすることが僕にとっては重要なのです」。
閉塞感を払拭するような新しい作品も始動
人生100年といわれる中、ちょうど折り返し地点を過ぎた吉岡さんですが、最近は、社会に対して、今、自分ができることをしたいという思いが強くなっているといいます。その気持ちの表れの一つが、今年の春に手がけたフェイスシールドのテンプレート製作でした。
「新型コロナウイルスの感染拡大により、緊急事態宣言が出ていたころ、友人の医師から医療現場の様子を聞き、飛沫感染防止のためのフェイスシールドが不足していることが分かりました。緊急を要しているものですから、誰もがすぐに作って使えるようにと、テンプレートを考え、ホームページに公開しました。クリアファイルなどを使えば簡単に作ることができます。たくさんの方からメールを頂くなど予想以上の反響があり、うれしかったですね。これからも、自分にできることで社会に貢献できればと思っています」。
そして、コロナ禍の閉塞感を払拭するような、吉岡さんならではの新作についても、すでに構想はできあがっているといいます。
「3Dの試作はできていて、原理的には作れることは分かっています。ただ、お金もかかるので、さあ、どうしようかなという段階です(笑)。世の中の雰囲気を変え、未来への希望を映し出すようなものが今、必要だと思うので、ぜひ、形にしたい。楽しみにして待っていていただければうれしいですね」。
本インタビューは、金融広報中央委員会発行の広報誌「くらし塾 きんゆう塾」vol.54 2020年秋号から転載しています。