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江戸時代に学ぶ お金と暮らし

第2回 現金は危険?江戸の資産運用の実態と背景に迫る

初心者・一般向け

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日本人は投資に消極的?

日本銀行が2021年6月に公表した「資金循環統計」の速報値によれば、家計の持つ金融資産は約1,946兆円ですが、内訳を見ると現預金が約1,056兆円に対して株式や投資信託の保有金額は約279兆円(いずれも2021年3月末残高)。

家計が持つ金融資産は、現金ないし各種預金が過半を占め、比較的リスク性の高い株式等の保有額を大きく引き離していることが分かります。

このことから、日本人は投資に対して消極的である、といった評価がなされることもありますが、はたして「日本人の特性」と理解してよいのでしょうか。

江戸時代の人々を見ていると、少し違った様相が見えてきます。

もちろん、江戸時代について同様の統計を示すことは難しいのですが、江戸幕府から庶民に至るまで、資産運用(当時の言葉では「利殖(りしょく)」ないし「貨殖(かしょく)」)に深く関わっていたことを示す証拠は多く残されています。

そこで今回は、比較的大きな商家や江戸幕府・諸大名を中心に、次回は庶民を中心に、それぞれ資産運用の実態について紹介していきたいと思います。

米切手という金融商品

大坂の商家は、「遊び銀」を蓄えておくことはしないものだ。
諸方面に貸付けて、その利息で妻子を養っている。
したがって、お金を持っていたとしても、多くの場合、それは証文の形で持っている。

(「草間伊助(いすけ)筆記」『大阪市史第五』より現代語訳)


これは大坂の豪商・鴻池屋善右衛門(こうのいけやぜんえもん)に長きにわたって勤務した草間直方(くさまなおかた)(1753‐1831)が残した手記に書かれている文章です。

「遊び銀」とは、読んで字のごとく、何にも使われず、遊んでいるお金で、大坂の商家はそんなものは持たないのだ、と言っています。

ではそうしたお金を何に使うのか。

ここでは、貸付けに回して利息を得ているとありますが、ほかにも信頼できる両替屋に預けたり、金融商品に投資したりする選択肢もあったことが知られています。

金融商品の中でも、特に大坂で盛んに売買されたのが、米切手(こめきって)でした。

ご存知の通り、江戸時代の年貢は原則として米で納められました。

諸大名は、その米を大きな市場で売却し、そこで得た現金で財政を切り盛りしていました。なかでも、当時最大の米市場が大坂にありました。

大名は、国元から廻送した米を大坂に設置した蔵屋敷(くらやしき)に格納した後、入札によって米を売却しました。

その際、落札した商人に渡されたのが、米俵ではなく、米切手という証券だったのです。

肥前蔵米切手(佐賀藩が発行した米切手)

肥前蔵米切手(佐賀藩が発行した米切手)

(出所)
神戸大学経済経営研究所所蔵

米切手は、1枚あたり米10石(重さにして約1.5t)との交換を約束するもので、これはどの大名が発行した米切手も同じでした。

米を落札し、米切手を受け取った商人は、これを蔵屋敷に提出すれば、米俵を受け取ることができましたが、多くの場合、その米切手を転売しました。

その転売市場こそ、歴史の教科書でもおなじみの堂島米市場(どうじまこめいちば)でした。「米」市場といいながら、内実は「証券」市場だったのです。

米切手は、いつ、誰が持参しても、発行者である諸大名の蔵屋敷が米を渡してくれる便利な証券でしたので、米切手を人に売ったり、人から買ったり、ということが堂島米市場を通じて盛んに行われました。

堂島米市場における取引の流れ

上記説明の堂島米市場における取引イメージ図

(出所)
著者作成

現金を持っているより米切手を持っていた方がいい。

(「大坂米売買之大意」『古事類苑産業部二』より現代語訳)


このように述べる史料もあるぐらい、大坂では盛んに取引されたと伝えられています。ではなぜ、現金より米切手の方がいいと思われたのでしょうか。

現金は危険?

大坂に設置された半官半民の学校・懐徳堂(かいとくどう)で英才をうたわれた山片蟠桃(やまがたばんとう)(1748‐1821)(注1)は、その著書『夢ノ代(ゆめのしろ)』で以下のように述べています。

米切手で持っておけば、米の運送費もかからないし、鼠に食べられたり熱で劣化したりすることもない。
火災が発生したら懐(ふところ)に入れて走ればよいから、非常に便利である。
(注1)
大坂の米商人で大名貸を営む升屋山片家の別家番頭として商才を発揮するかたわら、懐徳堂で儒学、天文暦学を学んだ町人学者。その見識は松平定信にも知られた。

米切手の便利さは、ここに書いてある通りです。

米俵に換算して25俵〜40俵もの米を1枚の証券で保有できますし、鼠に食べられる心配もありません。火災のときには持って走ればいいわけですから大変便利です。

火災の話題が出ましたが、現金で持つことの泣き所の一つが、こうした火災による被害です。

江戸時代は火災の発生頻度も高く、また類焼範囲も広かったので、火災が現実的なリスクとして認識されていました。

自宅で現金を保有していると、火災のときには担いで運ばねばならず大変です。その点、米切手にしておけば、持ち運びが簡単です。

また、今も昔も、盗難に遭う危険があります。私が分析を進めている大坂の豪商、加島屋久右衛門(かじまやきゅうえもん)(注2)(NHK朝の連続テレビ小説『あさが来た』のモデルになった家です)も盗難に遭っています。

(注2)
姓は廣岡。17世紀中期頃、精米業者として創業した後、堂島米市場の米仲買人として頭角を現し、そこで得た資金を大名に貸し付けることで大坂を代表する豪商へと成長した。加島銀行、大同生命保険を設立している。

享和3(1803)年の春、大坂の富豪を狙った盗みが多発したそうです(大阪市史編纂所編『大阪市史史料第二十四輯(しゅう)』大阪市史料調査会、1988年、69頁)。

手口としては、土蔵の屋根を切り抜いて忍び込み、衣類や道具類には目もくれずに金銀ばかりを盗むというものだったようです。

被害者として、唯一具体的に名前が挙がっているのが、この加島屋で、「玉水町加島屋の土蔵きりぬき、金子(きんす)四千三百両取り申し候」とあります。

この金4,300両を当時の相場で米の量に換算すると4,750石、米の重量にして700tを超えます。

1両を約6万円と見なすと(注3)、約2億5,800万円に相当します。

(注3)
18世紀において1両を米価で換算した額(日本銀行金融研究所貨幣博物館WEBサイトによる)
Q1江戸時代の一両の現在価値はどのくらいですか? (日本銀行金融研究所貨幣博物館HPへのリンク)

驚くべきことに、この金額は加島屋の資産総額の1%にも満たないので、加島屋にとってさほどの打撃ではないのですが、現金で持っていることの危険性は、こうした事例からもうかがえます。

「利殖」は正義なり

遊んでいる現金を持っておくことは無駄である。そもそも現金保有には危険が伴う。

このように認識された江戸時代には、人にお金を貸したり、米切手を代表とする金融商品を買ったりすることが盛んに行われました。そしてそれは、商人に限った話ではありませんでした。


全国の鉱山から金銀銅が盛んに掘り出された江戸時代初期、江戸幕府の財政は比較的安定しており、備蓄金も相当な金額にのぼっていたのですが、江戸時代中期になってくると、米価の低落もあって幕府の財政は苦しくなっていきます。

大名も例外ではなく、米頼みの財政では立ちゆかないことが認識されるようになりました。

田沼意次(おきつぐ)が権力を握った18世紀中頃には、幕府においても諸藩においても、支出を少しでも削減し、収入を少しでも増やすことが「正義」と見なされました(藤田覚『田沼意次』ミネルヴァ書房、2007年)。


「そこで注目されたのが米以外の商品作物である…」と皆さんは日本史の授業で習ったかも知れません。

それは間違いではないのですが、実は「利殖(貨殖)」も盛んに行われていたことを見落としてはいけません。しかも、その手法は実に巧妙です。


幕府の手法を例にとりましょう。

  • 出資者である商人から江戸幕府がお金を借り入れる
  • そのお金を再び出資者に貸し下げ、彼らによって大名や裕福な農民・商人に貸し付けさせる
  • 得られた利息を出資者と分け合う

という形が広く行われました(高槻泰郎「幕藩領主と大坂金融市場」『歴史学研究』2012年)。


かなり複雑ですね。

そもそもなぜ江戸幕府は民間にお金を借りてから、また貸し下げるという形をとったのでしょうか。

こうした手法は、民間のお金を江戸幕府の「公金」に変換する効果を持ちます。「公金」を貸すわけですから、回収の確実性は高まります。

「これがどういうお金か分かっていますよね?」と相手にプレッシャーをかけることができるからです。

相手が商人であればもちろん、大名であっても効果はてきめんです。

回収の確率が上がるなら、出資した商人にとっても悪い話ではありません。


商人のお金をいったん幕府が借り入れて、それをまた貸し下げることによって、「葵の御紋」付きのお金に変換してから、商人を通じて諸方面に融資させる。

その運用益(年利で10%弱)は、出資者にも分配されますが(約7%)、名前を貸した幕府も、いや、名前を貸した「だけ」の幕府も、分け前を受け取った(約3%)というわけです。

「武士はお金に疎い」とよく言われますが、そのイメージだけでとらえてしまうのはどうやら危ういようです。


大名も負けていませんでした。

「遊び銀」があれば、大坂の両替屋に預けて利息を受け取っていましたし(年利で6%~9%)、熊本藩にいたっては、農村で備蓄されているお金も、藩の「遊び銀」と一緒に大坂に送って両替屋に預けていました(今村直樹「近世中後期の地域財政と地域運営財源:熊本藩を事例に」『永青文庫研究』、2019年)。

江戸や大坂の両替屋は、こうして預かった資金を、さまざまな大名や商人に貸し付けていたわけです。


お米を作って、運んで、売る。

このシンプルな経済構造では立ちゆかなくなった江戸時代の半ばごろ、江戸幕府も大名も、利殖に活路を見いだそうとしました。

「遊び銀」を保有しておくことをもったいないと考えることが武士たちの間でも一般的になっていたのです。


次回以降は、庶民に目を移して、彼らのたくましい投資戦術に迫っていきたいと思います。

  • 江戸時代の大坂は「大坂」、近代以降は「大阪」と表記しています。

本コンテンツは、金融広報中央委員会発行の広報誌「くらし塾 きんゆう塾」Vol.58 2021年秋号(2021年(令和3年)10月発刊)から転載しています。
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