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著名人・有識者が語る ~インタビュー~

未知を楽しむ それが登山 そして人生

登山家 田部井 淳子

女性として世界初のエベレスト登頂者として知られ、その後も世界各地の最高峰に足跡を残してきた田部井淳子さん。
あくまで登山を楽しむ愛好家であることにこだわりそこから語られる山の魅力は“山ガール”で知られる女性の登山ブームを超えて幅広い層を魅了しています。
今回は、執筆や講演で多忙の中でも年に数回は世界の山に登る田部井さんに幸福観、お金観、充実した人生を過ごすためのヒントを伺いました。

田部井 淳子
(たべい・じゅんこ)

1939年福島県三春町生まれ。昭和女子大英米文学科卒業。69年『女子だけで海外遠征を』を合言葉に女子登攀(とはん)クラブ設立。75年世界最高峰エベレスト8848mに女性世界初の登頂に成功。九州大学大学院比較社会文化研究科修士課程修了。研究テーマは「エベレストのゴミ問題」。山岳環境保護団体・日本ヒマラヤン・アドベンチャー・トラスト所属。著書『山の単語帳』(世界文化社)など多数。

山の魅力に衝撃を受けた少女時代

取材場所に田部井淳子さんが現れた。人なつっこい笑顔がすぐに広がり、場がほっと和む。話しぶりもまるで昔からの友人と会うかのように親しみがあふれている。インタビューは山小屋で暖炉にあたるような温もりの中で始まった。

田部井さんは福島県の三春町で7人兄弟の末っ子として生まれ、幼年時代は病気がちで運動も苦手だったという。しかし、野山で遊ぶことは大好きな少女だった。そんな田部井さんが山の魅力に初めて出会ったのは小学校4年のときだった。

「夏休みに担任の先生が希望者を那須の茶臼岳に連れて行ってくれたのですが、見るものや触るもののすべてが驚くものばかりでした。まず、夏は暑いはずなのに山は寒いことにびっくりしました。またいつも遊ぶ里山は木々が生い茂っていましたが、茶臼岳は火山のため、途中から岩だらけでゴツゴツです。山道の横を流れている川にはお湯が流れ、石でせき止めれば温泉になることにも感激しました。そして登りつめた頂上から見下ろす風景の美しさにとても感動しました。『山に登るってこんなに素晴らしいことなのか』。それを強い衝撃として感じたのがこの茶臼岳登山でした」と田部井淳子さんは話す。

田部井さんは初めての登山で一気にその魅力に惹かれた。そしてこのとき覚えた山の感動は今も変わらない。「なぜ山に登るか」と問われたら、田部井さんは「知らない場所があるからだ」と答えると言う。そこには登山家という自らの限界へ果敢に挑戦していくストイックなイメージはない。あくまでも一人の登山愛好者として、未知の世界に対する「行きたい、見たい、知りたい」という旺盛な好奇心が原動力となっている。

また田部井さんは茶臼岳に登ったこのときに登山のあり方自体にも共感をもった。徒競走のように頂上への順位を競うこともない。もちろん選手(登山者)の交代もない。体育が得意な友だちと苦手な自分も一緒になって登り、ともに途中の風景や頂上にたどり着く達成感を味わうことができる。田部井さんはそんな登山が心底好きになっていた。

困難を乗り越え、目指した女性だけの世界最高峰

田部井さんは小学4年で登山に魅せられて以来、機会があるとさまざまな山に登った。そして昭和女子大を卒業し就職。社会人になった田部井さんは、その後も登山を繰り返すうちに世界で最高峰と呼ばれる山々にも登りたいという気持ちが強まっていく。そういった中で1969年に結成したのが「女子登はんクラブ」だった。その合言葉は「女子だけで海外遠征へ」だった。田部井さんはあくまで女性だけにこだわった。

「気兼ねのない女性だけのメンバーで海外の山に登りたいといつしか思うようになっていました。女性と男性では体力も違いますし、体格差がある分、登るペースも同じではありません。私が男の人と登っていたときは歩幅が違うためいつも小走りでした。それに男女が一緒だと着替えやトイレなどお互いに気を遣い合い、その気遣いの積み重ねがストレスとなり、危険を伴う登山ではリスクにつながることもあります。そのため何度か登山をしているうちに女性だけで登山できるチームがあればと思うようになっていったのです」と田部井さん。目指したのは世界最高峰であるエベレストだった。しかし、そこには数々の困難が待ち受けていた。

まずは許可の問題。当時のエベレストに登るには外務省を通じてネパール政府に申請する必要があった。田部井さんがあえて「女子登はんクラブ」を結成したのも、申請上、明確な組織が必要だったからだ。田部井さんたちは1971年に申請し、翌年72年にネパール政府から1975年の登山許可が下りた。3年も待たされるのには理由があった。それは当時エベレストには1シーズンに1つのチームしか登れないルールがあったからだ。

手続きの次に解決しなければならないのは資金の問題だった。テントやボンベなどのさまざまな機材を用意し、現地スタッフを揃える必要もある。もちろん移動や宿泊にもお金はかかる。そういった経費をすべて試算してみると軽く数千万円を超えた。もちろんそんなお金は自分たちだけで用意できない。田部井さんたちはスポンサー集めに奔走した。しかし、当時は「女性だけ」ということだけで賛同してもらえない場合もあった。資金集めの合間を縫ってエベレスト登山隊のメンバーを選び、世界最高峰の登山を可能にするトレーニングや登山計画を練る必要もあった。お互いに平日は仕事もある。時間を捻出しての活動だった。“申請が許可されてから3年後に登山”という時間は長いようで短かった。

エベレストをはじめ世界7大陸の最高峰を女性として初めて登る

入念に準備をして臨んだエベレスト。しかし世界最高峰の頂上を極めるのは到底容易ではなかった。テントを飲みこむほどの雪崩や高山病の続出など、続行を危ぶまれるトラブルが幾度もあった。そういった中で最終的に頂上を目指すアタックメンバーに田部井さんは選ばれた。

田部井さん以外はシェルパが一人。責任の重さがズシリと田部井さんにかかる。しかし、そこにあるのはプレッシャーだけではない。わずかでも足を滑らせれば滑落、遭難という恐怖も隣り合わせにあった。支えになるのはシェルパと自分をつなぐ一本のロープだけだった。

「一歩一歩を確かめるように足を動かし、頂上を目指しました。そして困難の末に頂上にたどり着きました。喜びで熱いものが込みあげてくるはずでしたが、そこにあふれてきたのは『もうこれ以上登らなくていい』、それが正直な気持ちでした。頂上では写真を撮り、8ミリカメラをまわし、記録を残す仕事がありました。かじかむ手でシャッターを押し、フィルムを入れ替えたことを今でも覚えています」と田部井さんは、女性初のエベレスト登頂者になったときの思いを率直に話す。ようやく感動が湧きあがってきたのは無事下山し、登山隊メンバーとベースキャンプで再会を果たしたときだったと言う。

大変な思いをしたエベレスト登山、その後にも田部井さんは世界各国の最高峰と呼ばれる山に登り続ける。見たことも行ったこともないところを自分の足で踏みしめたい。その気持ちはエベレスト以降も変わることはなかった。そして田部井さんはモンブラン、キリマンジャロなど名だたる最高峰に次々と足跡を残していった。

各大陸の頂点に立ち続けた田部井さんは1992年には女性で世界初の7大陸最高峰登頂者の記録を打ち立てる。しかし、それは決して記録を作るための登山ではなかったと言う。登ってみたい山があった。そのために黙々と準備し、実際に登った結果としてただ世界記録になったに過ぎないと田部井さんは話す。

好きな山登りにお金をかける。いい経験こそ人生の貯金

田部井さんにとって山とは、人生を豊かにしてくれる大切な存在だ。まず山は人を飽きさせない。同じ山でも四季によってまったく違う表情を見せ、新鮮な感動を与えてくれる。また山は日常生活への感謝も教えてくれる。山には電気や水道のようなライフラインがない。そこで過ごすことによって、当たり前と思っている便利な日常生活を別の目線で見ることができ、いつもの暮らしに喜びを感じることができる。

大切なのは山を体で感じることだと田部井さんは言う。今や世界のさまざまな場所をテレビやインターネットで見ることができる。それは便利で素晴らしいことだろう。しかし、映像で疑似体験することと自分の足でそこに立ち、五感で経験することとはやはり違う。自然を全身で実体験できる登山は、自らの人生の中でかけがえのない体験となると田部井さんは話す。

「そんな人生を豊かにしてくれる登山ですから、お金を惜しむことはありませんでした。だから登山の費用を捻出するため、おしゃれなどにはできるだけお金を使わないようにしてきました。洋服などには本当に無頓着で、ブランドなど知らないことだらけですよ(笑)。ある日、年ごろになった娘がバッグを買ってほしいと言ってきました。どんなバッグなのかと聞けば何かブランド名を言っているようです。それは女性なら誰もが知っているブランド名だったのですが、私は知りませんでした。返答に困った私は友人に相談して初めてそれが高価であることを知りました。『高いから我慢しなさい』と返事をするのに随分時間がかかったのを今でも覚えています」と田部井さんは笑う。

「いい経験こそ人生の貯金」、そんな視点を田部井さんは持っている。いい経験は人に良き思い出を残し、その蓄積が人生そのものを充実させる。お金はそのために使う。それが田部井さんのお金に対する考え方だ。

あせらずに待ち、困難自体を楽しむ

田部井さんは登山を通して試練の乗り越え方も学んできた。それは「待つ」ことだ。

「山は天気がすぐに変わります。突然悪くなることもよくあります。けれどそんなときほど腰をすえて待つ大切さを知ってきました。待てばいずれ悪天候も過ぎ去ります。登山では少々のことが起こっても動揺しないで『あせらず待とうよ』と仲間に声をかけるようにしてきました」と田部井さん。人生も同じことだと話す。

困難に会えば待てばいい。それもただ忍耐強く待つのではない。同じ待つなら困難自体を「めったに体験できないこと」と考え、前向きな姿勢でその困難さえも貴重な体験として受け止めるのだ。

十分過ぎるほど計画を立てる登山だが、計画通りには行かない。なぜなら相手は自然だからだ。だから起こったことを悔やんでも始まらない。それならば「計画通りに行かないことも計画の内」と考え、田部井さんはプラス思考で捉えてきた。雪で道が閉ざされれば、閉ざされた状況で何ができるかを考え、むしろ楽しむ。そんな田部井さんにとっては試練も「行ったことや見たことのない」山のようなものかもしれない。

今年のお正月も海外の最高峰で過ごし、この夏はまた世界の山へ出かける田部井さん。もちろんその準備には手間も時間もかかり、お金を捻出するためには苦労もする。しかし、それでも田部井さんは山へ行く。それはまだまだ行ったことがない場所が残っているからだ。今でも世界地図を見てワクワクすると言う。そこに未知があるから楽しめる。好奇心はどんな苦労も吹き飛ばしてくれる。

本インタビューは、金融広報中央委員会発行の広報誌「くらし塾 きんゆう塾」Vol.24 2013年春号から転載しています。


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