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著名人・有識者が語る ~インタビュー、講演、寄稿~

“お嬢さん女優”から、マルサ、そして「プロの女優」へ

女優 山村 紅葉

2時間サスペンスやバラエティ番組など、テレビで見ない日はないほど大活躍の女優・山村紅葉さん。
学生時代に女優デビューし、国税専門官としても活躍した異色の経歴を持ちます。
「2時間サスペンスの裏女王」の異名を持つ紅葉さんに、女優を続けるうえで大切にしていること、老後やお金についてなど、じっくりお聞きしました。

山村 紅葉
(やまむら・もみじ)

1960年、京都府生まれ。作家の故・山村美紗の長女。1983年、早稲田大学政治経済学部在学中に女優デビュー。卒業後は国税庁国税専門官として働き、結婚を機に退職、再び女優へ。「2時間サスペンス」で人気を博し、以後、舞台、映画、バラエティなど活躍の場を広げている。日本喜劇人協会理事。

学生時代の記念のつもりだったドラマ出演

山村紅葉さんが女優としてデビューしたのは、早稲田大学に在学中の2年生のとき。京都の実家に帰省したことがきっかけでした。「たまたま、母のところに打ち合わせに来ていたテレビ局のプロデューサーに、『お綺麗ですね。一度ドラマに出てみませんか』といわれて。お世辞のつもりだったのでしょうが、母が『出てみたら』というものだからとんとん拍子で話が進んでしまいました」。その母とは、人気ミステリー作家の山村美紗さん。紅葉さんのデビュー作となった2時間サスペンスドラマ『燃えた花嫁』(1983年放送)も母・美紗さんの作品をドラマ化したものです。

「それまで演技経験なんてまったくないので、てっきりチョイ役かと思っていたら、結婚式当日にウェディングドレスのまま焼き殺される花嫁という、ドラマのタイトルにもなっている重要な役どころでした。人生で初めてパーマをかけて、プロのメイクさんにお化粧も整えてもらって現場に入ったものの、普段の生活で経験していることならまだしも、焼き殺される姿なんてどう演じればよいか分かりません。監督からはさんざん怒られました。それでも、なぜか見どころがあるといってくれて、その後も母の作品とは関係のないドラマにも声をかけていただきました」。こうして、「学生時代の記念に1本だけなら」と出演したつもりが、卒業までに出演したドラマの数は20本にもなりました。

天職と思った「マルサ」の仕事

それでも、紅葉さんは、そのまま女優の道に進もうとはしませんでした。「監督から褒められたとはいえ、自分は所詮素人。このまま続けても、いずれは限界が来るであろうことは分かりました。撮影現場で目の当たりにした俳優さんたちの役作りに励む姿勢からプロの世界の厳しさを実感しましたし、創作に取り組む母を近くで見ていて、プロとしてやっていくには努力だけではどうにもならない部分があることも知っていましたから」。

大学では、経済や法律を一生懸命に勉強していた紅葉さんは、その後、国税庁国税専門官の採用試験という難関をクリア。卒業後は、国税専門官としての道を選びます。マルサ(=国税専門官)を一躍有名にした伊丹十三監督の映画「マルサの女」が公開されたのが1987年。それより2年も前のことでした。ところで、なぜ国税専門官だったのでしょう。

「できれば、男性と対等に働きたいと考えていました。でも、男女雇用機会均等法ができる前のことですから、選択肢は公務員くらい。そんななか、日本の脱税問題を考える機会があって、年間の脱税額の大きさに驚きました。こうしたお金がきちんと納税されて、福祉や教育に使われたら、日本はもっと充実した社会になるのに、と思ったのです」。

こうして選んだ国税専門官は、紅葉さんにとってまさに「天職」だったそうです。母親の影響もあって推理好きで、大学でもミステリークラブに入っていた紅葉さんは、脱税しているのではないかと睨んだ会社があれば、帳簿調べと経営者などとの何気ない会話から矛盾点を探し出し、さながらサスペンスドラマのように脱税の手口を暴いていったといいます。

紅葉さんが国税専門官として活躍したのは2年弱。その間に大蔵省(現・財務省)勤務のご主人と婚約します。仕事は続けるつもりだったものの、「朝、味噌汁の香りで目覚め、夜は『今日の晩ごはんは何かな』と思いながら帰宅できるような温かい家庭が夢だった」というご主人の望みを叶えるべく、きっぱり退職し結婚します。

その後は、そのまま専業主婦としての生活を送るのかと思いきや、旧知の女優さんに頼まれ、ピンチヒッターとしてドラマに出たことをきっかけに再びドラマ出演の依頼が舞い込むようになりました。「『あと1本、あと1本』という感じで、そのままズルズルと出演することに。女優復帰というより、頼まれたら断れなくてお受けする、という感じでした」。

女優 山村紅葉さん

プロになることを意識した二つのきっかけ

こうして、年に数本のドラマ出演を続けてきた紅葉さんが、今、私たちがテレビなどで知る紅葉さん、すなわちプロの女優となったのは、いつのことでしょうか。これには、二つのきっかけがあったといいます。

一つは、ご主人の仕事の関係で1年間、ニューヨークで暮らすことになったときのこと。

実は、紅葉さんには、ご主人の赴任が決まる前から、翌年の1月に日本で初舞台の仕事が決まっていました。それも主役に次ぐ大きな役。舞台稽古が始まるころに帰国して、初舞台を踏む、そう考えていた紅葉さんに対して、ご主人は現地での新年のパーティーには妻である紅葉さんを伴って出席することを強く望んでいました。紅葉さんが、このことを先輩の俳優さんに相談すると、「出演が決まっている舞台をキャンセルするくらいなら、もう女優は辞めた方がいい」とまでいわれてしまいます。女優の仕事をとるか妻としての役目をとるか、「究極の選択」を迫られた紅葉さんを一つの決断に導いたのは、このときニューヨークで通っていた演劇学校での経験です。

「せっかく1年間ニューヨークに住むのだから、本格的に演技の勉強をしようと、現地の演劇学校に通っていました。ボイストレーニングやダンスを初めて基礎から学んで、お芝居に対する意識がガラッと変わりました。お芝居をすることは、こんなにも楽しく、奥深いものなのかと。それと、周りの生徒たちはみんな綺麗で歌やダンスも上手なのに、ブロードウェイで端役のオーディションにすらなかなか通らない姿を見て、自分はなんて恵まれた環境にいるのかとも思いました。お芝居がより好きになったという気持ちと、日本の大きな劇場に大きな役で立つことができるチャンスを無にするのはもったいないという気持ちの両方がありましたね。私はやっぱりお芝居が好きなのだ、こんなに好きなものがあるなんて私は幸せだ。もう、これは辞められない。夫には『ごめんなさい、私は舞台を選びます』と告げて、これでさよならかな、という気持ちで日本に帰りました」。

こうして舞台に立った紅葉さんは、共演者から「山村美紗さんのお嬢さんがニューヨークでプロの女優になって帰ってきた」と評価され、自身でもプロの女優としてやっていこうという意識を確固としたものにします。幸い、ご主人も舞台を観に来てくれて、「こんなに輝いている姿を初めて見た」と、それ以降は女優の仕事を続けることに理解を持ってくれるようになったそうです。

もう一つのきっかけは、母・美紗さんの死。美紗さんが、1996年に亡くなって暫くしたとき、仕事の関係者から「なぜお母さまはあんなに多くの作品を書き続けていたのか知っていますか?」と聞かれたそうです。

「母は、『紅葉は私のコネで出ている女優だから、原作がたくさんないと困るでしょう』といっていたそうです。だから、亡くなる直前まで懸命に書き続けたというのです。生前、私の演技を褒めてくれることは一度もありませんでしたが、いつも自分を気にかけてくれていたことが亡くなった後でようやく分かりました。もう、母の作品が増えることはないから、これからは女優として私が母の作品を守っていかなければ。このとき、そう思いました」。

テレビや舞台で活躍し続けられた理由とは

女優 山村紅葉さん

こうして、女優としてのプロ意識を抱いて、20年余り。紅葉さんは、最近ではバラエティ番組にも引っ張りだこです。絶えずテレビや舞台に出て活躍してこられた理由は何でしょうか。

「心がけていることは、『監督さんや先輩の俳優さん、照明などのスタッフさんなどのアドバイスを素直に、謙虚に聞く。たとえお叱りであっても、ありがたいと思って聞くこと』でしょうか。もともと不器用な人間ですから、分からないことは素直に聞いて、教えていただいたことはありがたく受け止める。その積み重ねが今につながっているのかなと思っています」。バラエティ番組には「大御所チーム」の一員として呼ばれることもあるそうですが、「若いお笑い芸人さんの発想の仕方や話術などから勉強させてもらうことはとても多く、いつも刺激を受けています。同じ話でもこういったらもっと面白くなるのかと反省することもしきりです」。

もちろん、2時間サスペンスに対する熱い想いも忘れません。「2時間サスペンスは地方ロケも多く、出演者の数も多いので制作費も多額になります。だから、このご時世、制作本数は減っているのでしょう。それでも、再放送の視聴率は高いので、まだまだ需要はあるのではないでしょうか。将来のストックとしても2時間サスペンスを作り続けてもらいたいですね。最近では時事ネタを取り扱うドラマも多いのですが、2時間サスペンスが描く親子の愛や男女の愛憎、金銭のトラブルといったテーマは、いつの時代もテレビを観る人に共感してもらえるものだと思います。だから、2時間サスペンスは、20年後、30年後も楽しんで観ていただけるものだと思います」。

一生女優を続けながら豊かな老後も楽しみたい

さて、人生100年といわれる昨今、これからの女優人生、あるいは老後についてはどう考えているのでしょうか。

「女優としては、いただけるお仕事を精一杯させていただくということに尽きますね。女優に定年はありません。歳をとっても、それ相応の役があるはずなので、たとえ出番は少なくなっても、一生続けていきたいと思っています。そのためには、体が健康でセリフも覚えられるように頭もしっかりしていないといけません。昔から運動は嫌いだったのですが、最近は泳いだり、なるべく歩くようにしたりして、健康には気を付けるようになりました。

暮らしていくうえで贅沢をしたいとは思いませんが、老後を考えたとき、やはりお金は必要です。国税専門官の仕事をしていたときにお金の大切さを学んだことも大きかったと思いますが、お金については比較的シビアに考えています。特別な資産運用をしているわけではないものの、しっかり蓄えておこうと思って預金もある程度はドル建てにするなど、リスクを分散しながら確実な方法で財産をつくっておくよう心がけています。お金の入出金は人任せにせず自分でしますし、銀行の担当者の方とは大きな用事がなくてもマメに連絡をとってお話を聞くようにしていますね。

お金の流れを自分で把握しておけば、将来に対して漠然とした不安を抱かずに済むし、逆に必要以上に節約をしなくていいことも分かる。もう少し貯めたほうがいいとか、これくらいは使っても大丈夫ということが分かれば、今年は新しい着物を一枚つくろうかなというように楽しみも持てますから。女優のお仕事はずっと続けながら、これから先は今より時間もできると思いますので、夫や同級生の友人たちと過ごす時間をたくさん持てたらと思っています。私、長生きする予定なので(笑)」。

本インタビューは、金融広報中央委員会発行の広報誌「くらし塾 きんゆう塾」vol.45 2018年夏号から転載しています。


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