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著名人・有識者が語る ~インタビュー~

ひたむきな努力が勝利以上の価値ある人生をつくる

日本体育大学教授 山本 博

アーチェリー選手、そしてオリンピックメダリスト、さらに教育者として活躍する山本博さん。
現在も現役選手として活動を続けながら次世代の育成に取り組んでいます。
今回は、アスリートと指導者という2つの視点から幸福感やお金観、そして価値ある人生を過ごすヒントをうかがいました。

山本 博
(やまもと・ひろし)

1962年神奈川県横浜市生まれ。保土ヶ谷中学1年からアーチェリーを始め3年生にて全日本アーチェリー選手権大会出場。高校・大学時代はインターハ3連覇、インカレ4連覇。日本体育大学在学中にロサンゼルスオリンピックで銅メダルを獲得。その後、国内外の大会で好成績を収める。2004年開催のアテネオリンピックで銀メダルを獲得。メダル獲得はロサンゼルス以来20年ぶり。オリンピック5大会に出場。現在も現役選手として活躍中。

工夫と努力で現状を変える大切さを知った少年時代

初対面でも人柄の良さがにじみ出るような人がいる。取材場所に現れた山本博さんがそうだった。取材スタッフに気さくに言葉をかけるその姿は春風のように温かく、眼差しは、強さを持ちながらも優しい。打ち解けた雰囲気の中でインタビューは少年時代の話題から始まった。

「4人の男兄弟の3番目として育ちました。まだまだ日本が豊かではない時代です。食べ盛りの男の子ばかりのわが家の食卓は、おかずの取り合いで弱肉強食状態だったのです」そう言って山本さんは笑う。

しかもそのおかず争奪戦は子どもなりに考えられた“知略戦”だったようだ。例えば兄たちから冷蔵庫の水を持って来るように食事中に言われる。しぶしぶ席を立ち、水を持って戻って来たときにはもう大好きな肉料理は残っていない。兄たちは山本さんに何か用事を言いつけ、席を離したスキにそれを狙うのである。やがておかずを奪われないために山本さんは、あらかじめ水など言われそうなものを先読みし、手元に用意するようになった。問題は工夫で解決できる。それを子ども心に学んだ。

山本さんは、中学に進みアーチェリーに出会う。

いろいろな運動部を迷いながら見学し、それまで続けていた野球にほぼ決めかけていたとき、アーチェリーの珍しさにふと興味を持った。試しに弓を持ち、矢を放つ。すると的に命中した。全身に感動が走る。その一瞬の体験が入部を決心させる。

しかし、すぐに頭角を現したわけではなかった。それどころか、最初は新入部員の中でも上達が遅いほうだったと言う。その中で山本さんは、努力と工夫を重ねる。先輩のプレーをしっかり観察し、自分のフォームを分析し、その結果を活かした練習を何度も何度も繰り返しながら、正しいフォームとプレースタイルを身につけていった。

試合の成績は少しずつ上がり、やがて加速度的に上達していった。

中学3年生になると史上最年少で全日本アーチェリー選手権に出場するまでになった。高校進学後も快進撃は止まらない。インターハイに3年続けて出場。そのすべてを優勝で飾る。向かうところ敵なしの山本さん。

生きることは自分との戦い

その後、日本体育大学に進学した山本さんは、3年生のときにロサンゼルスオリンピックに出場。銅メダルを獲得する。

「オリンピック初出場でメダルを取れた喜びはもちろん大きいものでした。けれどそれと同じくらいトップに立てなかったという悔しさもありました。敗因はメダルを意識しすぎて集中できなかったからです。金メダルを取るつもりで試合に挑んでいたので、本当に残念でした」と山本さんは振り返る。

以降、山本さんは、ソウル、バルセロナ、アトランタのオリンピックに出場。しかしメダルを獲得するどころか、入賞すらできなかった。そしてシドニーでは国内予選で敗れ出場を逃した。

希望と失望、その繰り返しの中で、山本さんの思考は、「なぜアスリートは挑み続けるのか」という本質にたどり着く。

競技には勝ち負けがある。そして最終的に優勝者一人を除けば、全員が敗者になってしまう。スポーツ競技において勝者になる確率は、極めて低い。アスリートたちは、懸命に練習を繰り返し、自分のプレーを分析し、改善を図ろうとする。けれども必死の努力は実を結ばないかもしれない。

よく考えれば人生も同じではないだろうか。未来は分からない。必ずこうなるという保証もない。競技も人生もひたむきな努力を続けるか否か、選択肢は二つに一つしかない。山本さんは、次の勝利を強く信じてベストを尽くす生き方を選んだ。こうした考え方にはどんな心の持ちようが必要なのだろうか。

「アーチェリーに明確な対戦相手はいません。もちろんライバルとなる選手はいますが、その相手を研究すれば勝てるというものではないのです。意識しないといけないのは自分自身です。だからこの競技は、自分との対話が大事だと思っています。昨日の自分と今日の自分は違います。また一日何百本も矢を放つ練習中でも変化します。命中しないで悔しい思いをするのは最初のうち。本数を重ねていくうちに悔しいという気持ちが麻痺し、慣れていきます。一本一本に一喜一憂しない心の安定感は必要ですが、なぜ狙ったところに当たらなかったかという、失敗に対する細かな分析を怠らない気力も持ち続けなければなりません。

そのためには、自分をコントロールし、乗り越えて、自分との対話を続けなくてはなりません。刻一刻と変わる自分を相手にするのは容易ではありません、ときには自分自身と激しくぶつかりあう場合もあります。そんな厳しい対話が必要なアーチェリーは『心の格闘技』と呼んでも良いでしょう。これは人としての生き方にも通じるのではないでしょうか」と山本さんは話す。

アスリートとしてアーチェリーを続ける中でかつてのライバルや仲間は次第に引退していったが、山本さんはロサンゼルスオリンピックから20年経過した2004年にはアテネオリンピックに参加。年齢が半分ほどの選手が多いことに戸惑いを覚えながらも、ロサンゼルスオリンピックのようにメダルを過剰に意識することはなかった。本当の対戦相手は自分であることを知っていたからだ。山本さんは銀メダルを手にし、「20年かけて銅から銀へ」と世の中の話題となった。

努力する楽しさを教える

山本さんは、大学卒業後、アスリートとしての人生を歩みながら、高校の体育教師や母校日本体育大学の准教授、教授として、教師の立場から次世代の育成に取り組んできた。

アスリートと教師に共通するのは、人間を相手にすること。今日の自分が昨日とは同じではないように、まったく同じ教え子は存在しない。教員生活も30年を越える山本さんは、ベテラン教師である。多くの生徒や学生を指導してきた自信と実績がある。その中で気をつけているのは、過去の経験がそのまま通用すると思わないことだと言う。選手としての山本さんは、現在の練習でも、自分が放った一本の矢がどのようなものであったか、分析と改良を重ねている。それと同じく教育の現場においても改良と工夫を怠ることはない。

そんな山本さんが、教育の現場でよく訴えるのは、努力する楽しさだ。

「トレーニングを例にするなら、普通は、ある程度練習がハードになると、精神面で辛さを感じてそれ以上続けられなくなります。視点を変えれば、メンタル面の限界が肉体面の負荷の上限を画しているのです。一流のアスリートは、メンタル面の限界を超えてトレーニングを続ける力を持っています。肉体面でギリギリの限界が近づいても精神面で苦痛を感じず、いわば極限の努力を楽しんでいるわけです。努力といえば、我慢して辛い練習をするイメージがあるかもしれません。しかし、根本的には、自分に勝つことを楽しむものだということを知ってほしいのです。もちろん遊びのような楽しさとは違いますが、大きな満足感や達成感があるはずです」と話す山本さん。

こうしたアスリートとしての生き方を子どもたちに伝えるのは非常に難しい。山本さんは、以前勤めていた高校で、アテネオリンピックで手にした銀メダルを2000人の生徒たちにじかに手で触らせることにした。オリンピックメダルと聞けば、扱いも慎重になりそうだが、山本さんは惜しむことなく直接生徒の手に触れさせたのだ。

生徒たちの反応は、メダルへの道のりを聞きたがる生徒、値段を聞いてくる生徒など様々であったが、山本さんがこの試みで子どもたちに伝えたかったのは、目標に向かってひたむきに挑み続ける心だった。初めて本物に触れた感覚や驚き、感性とともに、そうした心を生徒たちがいつまでも忘れないでほしいと願っている。

お金は夢を叶えるための道具

山本さんは、アーチェリーを通してお金のありがたさを知った。初めて自分の弓を購入したときだ。中学に入学した当時、山本さん自身がこの競技を珍しいと感じたのと同じように、両親もアーチェリーに対する認識はほとんどなかった。生活も余裕があるわけではない。当然、両親は財布の紐を決して緩めなかった。

だから山本さんは、コツコツ貯めたお金で買った弓を手にしたときの感動を、今も忘れてはいない。中古ではあったが、あまりにも嬉しくて抱いて寝たと言う。

その後、トップ選手となってメーカーから弓具の提供を受けられるようなってからでも、必要以上に弓を持とうとは思わない。練習で使い込み、自分のものとしてなじんだものを大切に使いたいからだ。

「高校卒業後の1980年、イタリアで開催された世界大会への出場が決まったときの苦労も忘れられない」と言う。「選手として選ばれたのは嬉しかったが、用意しなければならない自己負担金は35万円でした。土木作業や建築現場、飲食業など比較的時給が高いアルバイトを掛け持ちしながらお金を工面しました。そしてアルバイトの合間を縫うようにアーチェリーの練習時間も必死で捻出していったのです。苦労して稼いだ大金でしたが、このお金でまた新たな夢をつかむことができると思うと喜びでいっぱいになりました」と山本さんは話す。

仕事についても、自分なりの考えを持っている。大学教員の山本さんは、学生たちの就職の相談を受けることがある。学生たちは、会社の名前や給与などに捉われがちであるが、これから社会に羽ばたく学生には、働き甲斐を見出せる仕事かどうかという視点で就職してほしいと山本さんは願う。これなら一生懸命に努力できるという仕事に出合うことができれば、その努力がなかなか実を結ばなかったとしても、自分を信じて忍耐強く挑み続けることもできる。そんな仕事で報酬がもらえて、家族を養うことができれば、それは十分に幸せではないだろうか。

自分の未来に挑戦し続けるだけではなく、若者たちの将来にも心を配る山本さん。その温かな眼差しからはひときわ熱い思いが伝わってきた。

本インタビューは、金融広報中央委員会発行の広報誌「くらし塾 きんゆう塾」Vol.28 2014年春号から転載しています。


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