金融教育フェスタ
2005 金融教育フェスティバル
実施報告
シンポジウム「これからの子どもたちに期待すること」
全文
これからの成熟社会を目指す消費者教育とは?
-資料VTR(4)-
■これからの成熟社会を目指す消費者教育とは?
・世界トップの学力を誇るフィンランドの消費者教育の実例(サントミッケル基礎学校)
好本 フィンランドの例をご覧頂きました。日本の場合は、『総合学習』の時間と『普通の教科』は、どちらかと言うと分かれていて、「金融教育は、主に総合学習のほうで行っている」と思うのですが、フィンランドの例は、色々な教科の中に金融教育を積極的に取り入れていました。子どもたちは、とても楽しそうにいきいきと勉強しているように思いましたが、いかがでしょうか。
三枝 日本でも、『総合的な学習』の時間と、『普通の教科』を合わせた実践事例は多いと思いますね。合わせて行くことによって、「物理的な時間や内容面をお互いに補完し合うことがたくさん成されている」と思います。ですから、「日本もフィンランドと似ている部分はある」と思いますが、それが「まだダイナミックには行われていない現実がある」と思います。
大杉 「なぜ、フィンランドの学力が高いのか?」、あるいは「読解力の面が非常に高い」んですね。ここで申し上げる『読解力』とは、本を読む力ではなくて、「情報から読み取ること、それをもとに考え、色々な事を判断し、自分の考えを書き示す、トータルな力」を指しています。
VTRの中で、自国のホームページにアクセスし、「なぜメールアドレスが2つ必要なのか?」ということを、そのホームページから読み取り、答えを考えることは、実生活と非常に結び付いているのです。そうした意味において、「教科書の中にある基本的知識を、実生活に結び付ける仕組みで指導が行われているというところに、フィンランドの学力の高さが出ている」と思うんですね。
フィンランドでは、『国語』の授業の中にも金融の素材が入っていることで、先生は指導する際に「非常に工夫し色々な事を考えられる」ということが分かり、とても参考になりましたね。
好本 そうした『実感のある教育』は、子どもたちが「自ら勉強しよう!」という気持ちになるのではないでしょうか。
三枝 そうですね。「自分に引き付け、自分に置き換えて考える」ということが、さきほどのVTRの中でも、「他への意欲に繋がっている」ように思われるので、やっぱり日本の教育でも「同じことを意識すべきだ」と思います。
福井 最近、私はスウェーデンやノルウェーなど、フィンランドのすぐお隣の国の方々ともよく話をする機会があって、話を聞いていますと、ノルウェーの方もスウェーデンの方も、フィンランドがある意味で、「羨ましい」と言っている方がいる。要するに、「フィンランドの教育が優れている」って言うんですね。
さきほどのVTRで、フィンランドの先生が「優秀な生徒を作ろうと思って教えているわけではありません」と言いましたね。「その必要はないから」なのです。それは『数学』が得意な子どもは、先生が教えなくても、どんどん先へ進む。『数学』以外の科目についても、自分の得意な科目を自分で見つけるし、見つけた科目はまた自己開発的にどんどん進める。
これはやっぱり、生徒が「自分自身の道を自然に発見する」とか、「自分で考える力を無意識のうちに身に付けて行く」など、「金銭教育や金融教育に取り組みやすい土壌がある」というふうに私は思います。従って、「お金を使う時に、人と同じような使い方をしては自己実現にならない!」ということが、知らぬ間に「全教育のプロセスを通して出ているのだ」と思いますね。
やっぱり、そういう「かなり根本的な問題がある」ような気がしまして、暗記教育ばかりやっている国(日本)で、「もっと別に金融教育のプログラムを作るということが、本当に建設的なのか?」という基本的な疑問を私は持っています。
好本 畑村さんは、「国民教育だ」とおっしゃっていましたね。
畑村 もう少し、「根本的な問題も考えなければいけないのではないか?」と思うのです。日本の教育は、多分、約百年間に亘って「たくさんのことを知っている」、「たくさんのことを覚えている」、「正確に覚えている」、「計算が速い」など、「どこかで決まったものを上手にオペレーションすることを目指す方向へ、全ての教育が揃えられてしまっているのではないか?」という気がします。
そして、日本の教育がもう1つ違う方向にあると思うのは、「覚える」とか、「知っている」ということに重きを置くのでなくて、「自分が本当に欲しい」とか、「理解したい」とか、そうした方向に軸足を置いた教育へそろそろ変えないと、日本中が落ちこぼれだらけになってしまい、最後には蓋を開けてみたら、1世代のうちの3%とか5%が「イイ気」になって、「俺は大したもんだ」と思っているけれど、残り90%以上が皆、「落ちこぼれ意識」になって行くような、何か極端な言い方すると、そんな方向に動いているような気がします。ですから、そういうところを変えていかなければいけない。
そして、フィンランドの良い面はそうした点なのですが、もっと本当に生徒が「本当に知りたい」とか、「自分が必要だと思う」とか、そうした実感を持つような授業内容に変えて行くことを求めている。そして、それがたまたま『お金』というところに最も典型的に現れているので、「お金というのでやろうよ」というぐらい。
だから、「金融教育が主役じゃなくて脇役でいい」けど、本当の教育とは、やっぱり「体感・実感を持つようなところに焦点を合わせることが大事なのではないか」と思います。
好本 『実感教育』ですね。
香山 さきほどのフィンランドのVTRでも、皆が自国のホームページへアクセスしたり、消費者として賢い選択をすることで、「単純に知識を得る」とか、「賢くなる」よりも、「自分も社会に参加している一員であり、その他大勢じゃないんだ!」という、「根本的な自信みたいなもの」とか、「自分を肯定する力」とか、そういうものを身に付けているのではないかと思うんですよね。
まさに、今の日本でも欠けているのはそこで、幾ら学力が高くても、自分に対する肯定感が低く、「自分は社会にとって必要な人間で、社会の主役なんだ!」とか、「自分の人生の主役は私なんだ!」っていう、「実感を持ち難いことがとても大きな問題」だと思います。
そうした手がかりの1つとして、例えば金融教育があって、自分から主体的な働きかけや、『モノ』を買う時にも「自分で選択できる」といった手応えみたいなものを、フィンランドの子どもたちは手に入れているので、学力の向上や勉強意欲の高まりなどに繋がっているのではないでしょうか。
村上 私は、自分の子供たちに「立派な人になって欲しい」と思いますが、「立派な学校へ入って欲しい」とか、「立派な会社へ入って欲しい」、あるいは「お金がたくさん稼げるような人になってもらいたい」という願いはあまりないです。
でも、生きて行くうえでお金は切っても切れないものなので、「お金は後からついてくるから自分がやりたいことを探すほうが先決なのではないか」と思っています。そうした意味で、「選択肢を広げるために学んで欲しい」と思います。「学ぶと学ばないのでは大きな差がある」と思うんですね。
「何もその仕組みを分からないで社会へ出て行くのか」、それとも「ある程度の仕組みを理解して社会へ出て行くのか」では、大きな差がありますよね。だから、私たちも子どもと一緒に学ぶ場所が欲しいのです。そして、子どもと一緒に将来やりたいこと向かって、「色々な話ができたら楽しくていいな」と思いますね。